ピーター・クリストファーソン
Peter Christopherson
2007年撮影
生誕1955年2月27日
イングランド・ウェスト・ヨークシャー州リーズ
死没 (2010-11-24) 2010年11月24日(55歳没)
職業ビデオ・ディレクター、グラフィック・デザイナー、ミュージシャン
ピーター・クリストファーソン(Peter Martin Christopherson、1955年2月27日 - 2010年11月24日)は、イングランドのアーティスト。ビデオ・ディレクター、グラフィック・デザイナーであり、アート集団ヒプノシスの元メンバー。ミュージシャンでもあり、インダストリアル・ミュージックの先駆者で、スロッビング・グリッスルの元メンバー。 イングランドのリーズ生まれ。数学者のダーマン・クリストファーソン(Derman Christopherson)を父に持つ。愛称はスリージー(Sleazy)。ニューヨーク州立大学バッファロー校にて舞台デザイン、ビデオ制作について学んだ後、1974年にアート集団ヒプノシス(Hipgnosis)のデザイナーとなり、ピンク・フロイドやピーター・ガブリエルのアルバム・ジャケット等を手掛ける。 パフォーミング・アート集団、クーム・トランスミッション(Coum Transmission)への参加をきっかけに1975年にインダストリアル・ミュージックのバンド、スロッビング・グリッスル(Throbbing Gristle)を結成する。 バンドでは主にテープ操作を担当した。1981年の解散後は同じくメンバーであったジェネシス・P・オリッジ(Genesis Breyer P-Orridge)と共にビデオ・プロダクションと音楽の融合をこころみ後のポスト・インダストリアル・ムーブメントに影響をあたえたサイキックTVを結成するがセカンド・アルバムの制作後に脱退する。また、ヒプノシスも1983年に解散した。 サイキックTVのメンバーでもあったジョン・バランス(John Balance)のコイル(Coil)に参加しバランスの事故死による活動停止まで23年間にわたってマーク・アーモンド(ソフト・セル)、ジム・サールウェル(フィータス)、ギャビン・フライデイ、カレント93、ナース・ウィズ・ウーンドとのコラボレーションやデレク・ジャーマンの映画のサウンドトラックをはじめ多くの作品とライブ・レコーディングを残した。 その後、タイに移住し、ザ・スレシュホールド・ハウスボーイズ・クワイア(The Threshold HouseBoy's Choir)名義で東南アジアの民族音楽的リズムや変調ソフトによるボーカルをとりいれたソロ活動を行っており、2007年4月に来日を果たした後、2008年3月にコイルの活動にも関わったイヴァン・パブロフ(COH)と共にソイソング(SoiSong)を結成。 ビデオ・ディレクター、写真家としても知られ、ニューヨーク近代美術館にて永久展示されているコイルによるグロリア・ジョーンズが1964年に発表した曲のカヴァー「Tainted Love」(ソフト・セルによるカバーで知られる)をはじめ数々のCM、ミュージック・ビデオを手掛けていた。 2010年11月24日、タイ・バンコクの自宅で睡眠中に死亡した[1]。55歳没。 Time Machines II(2014) Form Grows Rampant(2007)
目次
1 人物
2 経歴
3 ディスコグラフィー
4 脚註
5 外部リンク
人物
経歴
ヒプノシス
クーム・トランスミッション
スロッビング・グリッスル
サイキックTV
コイル
The Threshold HouseBoy's Choir(ソロ名義)
SoiSong
ディスコグラフィー
ソロ名義
ザ・スレシュホールド・ハウスボーイズ・クワイア名義
脚註^ ⇒Peter Christopherson found dead Music News 2010-11-25
外部リンク
⇒ピーター・クリストファーソン公式サイト
⇒スロッビング・グリッスル公式サイト
コイル公式サイト
⇒soisong公式サイト
更新日時:2018年3月27日(火)11:16
取得日時:2018/07/16 08:03