イギリスの政治家第6代キャリントン男爵
ピーター・キャリントンPeter Carington
6th Baron Carrington
1984年のキャリントン卿
生年月日 (1919-06-06) 1919年6月6日
出生地 イギリス ロンドン チェルシー
没年月日 (2018-07-09) 2018年7月9日(99歳没)
死没地 イギリス ロンドン
出身校王立陸軍大学
第6代キャリントン男爵ピーター・アレクサンダー・ルパート・キャリントン(英語: Peter Alexander Rupert Carington, 6th Baron Carrington,KG GCMG CH MC PC DL、1919年6月6日 - 2018年7月9日)は、イギリスの政治家、貴族。キャリントン男爵キャリントン家に生まれ、1938年に爵位継承して1940年から貴族院議員として政界入りを果たした。戦後の保守党政権下で閣僚職を歴任し、とりわけマーガレット・サッチャー内閣で外務・英連邦大臣を務めたことで知られる。
経歴アメリカのアレクサンダー・ヘイグ国務長官と(1981年2月26日)。
1919年6月6日にチェルシーにて、後に第5代キャリントン男爵となるルパート・キャリントン(英語版)(1929年に爵位継承)とその妻のエディス(旧姓ホースフォール)の間の第2子(長男)として誕生[4]。
1938年11月にイートン校在学中の時に父が死去し、第6代キャリントン男爵の爵位を継承した[5]。
1939年1月に少尉としてグレナディアガーズに入隊し[6]、後に少佐階級まで昇進した[5]。サンドハーストの王立陸軍大学(英語版)を出て、第二次世界大戦に従軍し、1945年にミリタリー・クロス(英語版)を受章した[5]。戦後も1949年まで陸軍に在籍した[7]。
1940年にキャリントン卿は21歳に達して貴族院議員に列した。保守党に所属し、第2次チャーチル内閣とイーデン内閣で次の役職を歴任。1951年11月から1954年10月にかけて農林水産庁政務次官(英語版)、ついで1956年10月まで国防省政務次官、ついで1959年10月までオーストラリアの連合王国ハイ・コミッショナー(英語版)を務めた[5]。