ピーター・オトゥール
Peter O'Toole
1968年
本名Peter Seamus O'Toole[1]
生年月日 (1932-08-02) 1932年8月2日
没年月日 (2013-12-14) 2013年12月14日(81歳没)
出生地 アイルランド自由国・ゴールウェイ県コネマラ山地
死没地 イギリス・ロンドン
国籍 アイルランド
職業俳優
ジャンル映画、舞台
活動期間1955年 - 2012年
配偶者シアン・フィリップス(1959年 - 1979年)
主な作品
『アラビアのロレンス』(1962年)
『ラストエンペラー』(1987年)
受賞
アカデミー賞
名誉賞
2002年 映画界、演劇界への貢献に対して
全米映画批評家協会賞
主演男優賞
1980年『スタントマン』
AFI賞
アメリカ映画100年のヒーローと悪役ベスト100(ヒーロー部門第10位)
2003年『アラビアのロレンス』
英国アカデミー賞
英国男優賞
1962年『アラビアのロレンス』
エミー賞
助演男優賞(ミニシリーズ/テレビ映画部門)
1999年『ヴァージン・ブレイド』
ゴールデングローブ賞
主演男優賞(ドラマ部門)
1964年『ベケット』
1968年『冬のライオン』
男優賞(ミュージカル・コメディ部門)
1969年『チップス先生さようなら』
新人俳優賞
1962年『アラビアのロレンス』
その他の賞
ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞
主演男優賞
1969年『チップス先生さようなら』
1972年『The Ruling Class
ピーター・シェイマス・オトゥール(Peter Seamus O'Toole, 1932年8月2日 - 2013年12月14日)は、アイルランドの俳優。シリアスで濃厚なドラマから軽妙なコメディまでこなす演技派として知られる。 アイルランド自由国ゴールウェイ県コネマラ山地生まれ。 リーズで地元の新聞社に勤めていたが、アマチュア劇団に参加して1949年に初舞台を踏む。イギリス海軍を除隊後、奨学金を得て王立演劇学校に入学する。1955年にプロ・デビューし、当初は舞台俳優としてシェイクスピア劇を中心に活動した。 1962年に『アラビアのロレンス』で監督デヴィッド・リーンに抜擢され、主役を演じる。188cmの長身と緑青色の眼が印象的なロレンスが話題を呼び、英国アカデミー賞 主演男優賞を受賞。アカデミー主演男優賞に初ノミネートされる。 1968年には大女優キャサリン・ヘップバーンと共演した『冬のライオン』でヘップバーン相手にヘンリー2世を堂々と演じ、ゴールデングローブ賞 主演男優賞 (ドラマ部門)を受賞。その翌年にも『チップス先生さようなら』でゴールデングローブ賞 主演男優賞 (ミュージカル・コメディ部門)を受賞。しかし、両作品でもアカデミー主演男優賞はノミネート止まりに終わった。 その後も1987年のアカデミー作品賞受賞作品『ラストエンペラー』など数々の名作に出演し、計8回もアカデミー賞にノミネートされながら一度も受賞していなかったが、2003年にアカデミー名誉賞(第75回)を受賞した[注 1]。 権力者を演じることが多く、独裁者や王役を多く演じた。『ベケット』と『冬のライオン』では、どちらともヘンリー2世を演じている。 2012年7月10日に俳優業からの引退を表明した[6][5]。 1959年に舞台女優のシアン・フィリップスと結婚、ケイトとパトリシアの2人の娘をもうけるが、1979年に離婚した。長女ケイトは女優になった。1975年に腹部の悪性腫瘍のため余命幾ばくもないと告知を受けたが、手術を受けて奇跡的に回復した。1983年には交際していた女性との間に息子が1人生まれている。 長い闘病生活を送っていたが、2013年12月14日、ロンドン市内の病院で死去した[5][7]。81歳没。死去の直前に完成した映画『Diamond Cartel』が、2017年に全米公開され、本作がピーターの遺作となった[8]。
生い立ち
キャリア
舞台
映画『アラビアのロレンス』
私生活
死去
その他
1965年3月と1992年のハウステンボスのCM撮影時に来日している。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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