ピーター・アーツ
生年月日 (1970-10-25) 1970年10月25日(53歳)
出身地 オランダ
北ブラバント州アイントホーフェン
通称20世紀最強の暴君
Mr. K-1
The Dutch Lumberjack
(ダッチ・ランバージャック)
国籍 オランダ
身長192 cm (6 ft 4 in)
体重105 kg (231 lb)
階級スーパーヘビー級
リーチ213 cm (84 in)
スタイルキックボクシング
スタンスオーソドックス
ピーター・アーツ(Peter Aerts、1970年10月25日 - )は、オランダの北ブラバント州アイントホーフェン出身の男性キックボクサー。ドージョー・チャクリキ、K1 Aerts Dojo所属。 K-1 GRAND PRIX '94、'95、'98の王者であり、K-1史上初のグランプリ2連覇および3度目の優勝を成し遂げたほか、17度の決勝トーナメント最多出場、16年連続の決勝トーナメント最多連続出場、6度のトーナメント決勝戦最多出場などの記録を持つ。K-1の第1回大会から参戦し、アンディ・フグとアーネスト・ホースト、マイク・ベルナルドとは「K-1四天王」として並び称された。 豪快なハイキックを得意とし、そこから、大木をなぎ倒す樵の意である「The Dutch Lumberjack(ダッチ・ランバージャック)」[2]の異名を持つ。この異名は対戦相手のマーク・ラッセルのトレーナーがアーツのことをランバージャックと呼び、アーツの父も樵だったこともあって気に入り、定着したと語っている[3]。 入場の際にはバッファローチェックの赤いジャケットを羽織り、さらに赤い帽子を被るという北米の樵たちの伝統的なスタイルで入場している。このジャケットと帽子はバス・ルッテンからプレゼントされたものと語っている[4]。なお、帽子は青色や緑色など、赤色以外の物を被って入場したこともある。 主な入場曲はMisirlou。 1970年10月25日に誕生。ボクサーだった祖父と叔父[5]の影響から自身もボクサーを目指していたが、自身が8歳か9歳頃に母親からボクシングをすることを反対される。そのためにテコンドーを習うも満足できず、14歳でキックボクシングに興味を持つが母親はそれがどんなスポーツかを知らなかったためにすんなり習わせてくれたという[6]。 1988年11月20日、アーネスト・ホーストと対戦し、判定負け。 1991年11月18日、フランク・ロブマンと対戦して勝利。アーツはこの試合を「何とか勝ったけれど、もの凄く大変な試合だった」と語っている[6]。 1992年4月9日、フランスで開催された興行で8年間キックボクシング界で無敗を誇っていたモーリス・スミスに判定勝ち。同年5月14日、リングス 光臨にてキックボクシングルールで行われたアダム・ワット戦をヒジ打ちで2ラウンドKO勝ち。同年10月4日、格闘技オリンピックIII ?カラテワールドカップ '92?で佐竹雅昭とキックボクシングルールで対戦し、引き分け。
概要
来歴
生い立ち - 1992年