ピンカートン探偵社
[Wikipedia|▼Menu]
1884年、ピンカートン探偵社の警備員達はオハイオ州Buchtelのスト破りを護衛した。ピンカートン探偵社のロゴ 探偵が“the eye”と呼ばれるようになったきっかけとされる

ピンカートン探偵社(Pinkerton National Detective Agency, 略称:Pinkertons)は、アメリカ合衆国の私立探偵社警備会社

スウェーデンの警備会社Securitas ABのアメリカ法人Securitas Security Services USAとして現存し、その政府部門は今尚Pinkerton Government Servicesと呼ばれている。
概要

身辺警護から軍の請負まで、手広く営業した。最盛期にはアメリカ陸軍の州兵を上回る人数の探偵を雇用しており、オハイオ州は、準軍事組織または民兵として雇われかねないという恐れから、同社を非合法にしたほどである。

19世紀後半の職場闘争の期間、実業家たちは、ストライキ および組合員と目される人物を監視するスパイとして、あるいはスト破りのためにピンカートン探偵社を雇っていた。1877年の鉄道スト、イリノイ州ミシガン州ニューヨーク、ペンシルベニア州の炭坑・鉄鋼・材木ストにかかわった。
起源

1850年代、大統領選挙に立候補していたエイブラハム・リンカーンの暗殺計画を未然に防ぎ有名となったアラン・ピンカートンが、シカゴ弁護士エドワード・ラッカーとともに、North-Western Police Agency(北西警察事務所)を設立した。この会社が後にピンカートン探偵社として知られるようになる[1][2][3]

歴史家のフランク・モーンはこう述べている。1850年代までに、少数の実業家が雇用者をより厳しく監視する必要性を感じていた。その解決策が、私立探偵のシステムを支援することだった。1855年2月、アラン・ピンカートンは中西部の6社の鉄道会社と相談のうえ、シカゴにこのような探偵社を創設した[4]
政府の仕事

リンカーンは南北戦争期間中、ピンカートンの部下の探偵たちを身辺警護に雇っていた。なお、リンカーン暗殺時にはピンカートンではなくアメリカ陸軍が警護にあたっていた。

1871年、連邦議会は、新設された司法省に、「連邦法を侵害した罪人の発見と起訴」を専門とした補助部門を組織するために5万ドルを計上した。しかし、ちゃんとした捜査部署を作るには、この額では不十分で、司法省はその仕事をピンカートン探偵社に下請けに出すことにした[5]

しかし、1893年、連邦議会は、政府がスト破りをできないようにするための反ピンカートン法(Anti-Pinkerton Act)を可決した。以下のように規定される。ピンカートン探偵社または、それに類似する組織に雇用された個人を、アメリカ合衆国政府またはコロンビア特別区政府は雇用してはならない[6]
モリー・マグワイアズ詳細は「モリー・マグワイアズ」を参照モリー・マグワイアズに潜入したジェームズ・マクパーランド

1870年代、フィラデルフィア・アンド・レディング鉄道社長のフランクリン・B・ガウエン(Franklin B. Gowen)は、会社が経営するペンシルベニア州ポッツヴィルの炭鉱の、労働組合の内部事情を調べるため、ピンカートン探偵社を雇った。探偵ジェームズ・マクパーランド(James McParland)はジェームズ・マッケンナという偽名を使って秘密結社「モリー・マグワイアズ」(Molly Maguires)に潜入し、組織を瓦解させた。アーサー・コナン・ドイルは、この事件から着想を得て、シャーロック・ホームズ・シリーズの『恐怖の谷』を書いた。同じくホームズ・シリーズの『赤い輪』でも、ピンカートン探偵社の探偵が小さな役で登場している。
ホームステッド・ストライキ

ピンカートン探偵社の仕事における最も悪名高い例が、1892年ペンシルベニア州のカーネギー鉄鋼会社(英語版)で起こったホームステッド・ストライキ(Homestead Strike)である。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:26 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef