ピンカートン探偵社(Pinkerton National Detective Agency, 略称:Pinkertons)は、アメリカ合衆国の私立探偵社・警備会社。
スウェーデンの警備会社Securitas ABのアメリカ法人Securitas Security Services USAとして現存し、その政府部門は今尚Pinkerton Government Servicesと呼ばれている。 身辺警護から軍の請負まで、手広く営業した。最盛期にはアメリカ陸軍の州兵を上回る人数の探偵を雇用しており、オハイオ州は、準軍事組織または民兵として雇われかねないという恐れから、同社を非合法にしたほどである。 19世紀後半の職場闘争の期間、実業家たちは、ストライキ および組合員と目される人物を監視するスパイとして、あるいはスト破りのためにピンカートン探偵社を雇っていた。1877年の鉄道スト、イリノイ州、ミシガン州、ニューヨーク、ペンシルベニア州の炭坑・鉄鋼・材木ストにかかわった。 1850年代、大統領選挙に立候補していたエイブラハム・リンカーンの暗殺計画を未然に防ぎ有名となったアラン・ピンカートンが、シカゴの弁護士エドワード・ラッカーとともに、North-Western Police Agency(北西警察事務所)を設立した。この会社が後にピンカートン探偵社として知られるようになる[1][2][3]。 歴史家のフランク・モーンはこう述べている。1850年代までに、少数の実業家が雇用者をより厳しく監視する必要性を感じていた。その解決策が、私立探偵のシステムを支援することだった。1855年2月、アラン・ピンカートンは中西部の6社の鉄道会社と相談のうえ、シカゴにこのような探偵社を創設した[4]。 リンカーンは南北戦争期間中、ピンカートンの部下の探偵たちを身辺警護に雇っていた。なお、リンカーン暗殺時にはピンカートンではなくアメリカ陸軍が警護にあたっていた。 1871年、連邦議会は、新設された司法省に、「連邦法を侵害した罪人の発見と起訴」を専門とした補助部門を組織するために5万ドルを計上した。しかし、ちゃんとした捜査部署を作るには、この額では不十分で、司法省はその仕事をピンカートン探偵社に下請けに出すことにした[5]。 しかし、1893年、連邦議会は、政府がスト破りをできないようにするための反ピンカートン法(Anti-Pinkerton Act 1870年代、フィラデルフィア・アンド・レディング鉄道社長のフランクリン・B・ガウエン(Franklin B. Gowen
概要
起源
政府の仕事
モリー・マグワイアズ詳細は「モリー・マグワイアズ」を参照モリー・マグワイアズに潜入したジェームズ・マクパーランド
ホームステッド・ストライキ(英語版)で起こったホームステッド・ストライキ(Homestead Strike)である。当時スコットランドにいて不在だった鉄鋼王アンドリュー・カーネギーに代わって、ヘンリー・クレイ・フリック(Henry Clay Frick)が計画したスト破りを実行するためにピンカートン探偵社が雇われた。ホームステッド・ストライキは143日間も続いていた。
1892年7月6日、製鋼所を占拠したストライキの現場に、ニューヨークとシカゴからピンカートン探偵社の探偵が300人到着した。探偵たちは労働者たちに発砲し、死者10人(ストライキ側が7人、ピンカートン側が3人)、負傷者数百名の大惨事となった。治安を回復するためにペンシルベニア州知事は、州兵2個旅団を出動させた。 アイダホ警察に逮捕された、ハリー・オーチャードことアルバート・ホーズリー(Albert Horsley ピンカートン探偵社は、西部のアウトローたちの追跡のためにも雇われた。ジェシー・ジェイムズ、レノ兄弟、ワイルドバンチ(ブッチとサンダンスを含む)などである。 元社員のG・H・ティールが、ミズーリ州セントルイスでティール探偵社(Thiel Detective Service Company 労働組合との対立のため、「ピンカートン」という言葉は労働組合、組合員、スト破りのイメージが絶えずまとわりつくことになった[7]。しかし、1937年、ラ・フォレット委員会(La Follette Committee
アイダホ州知事暗殺事件
アウトローと商売敵
その後のピンカートン社
2020年、Amazonのグローバル・セキュリティ・オペレーション・センターから文書が漏洩し、同社が労働組合活動家や環境保護活動家や市民団体を監視していることが判明した。さらにピンカートンと契約して工作員を社内に潜入させ、倉庫労働者の組合運動の動向や、労働者の漏らす不満、労働者の行う窃盗などを監視・記録させていたことが明らかになっている[10]。 World Association of Detective 世界探偵協会(通称/WAD)に所属している。 1892年の流行歌にこんな歌詞のものがある。「哀れな孤児の悲しい話を聞いてくれ/親父がピンカートンの奴らに殺されちまったんだとさ」[11]。他には、以下のようなものがある。
世界的な国際探偵協会
大衆文化におけるピンカートン探偵社
音楽
エルトン・ジョン『名高い盗賊の伝説』(1970年) - アルバム『エルトン・ジョン3』収録。
Pinkerton Thugs
映画
決断の3時10分(3:10 to Yuma, 1957年)
血斗のジャンゴ(1967年)
明日に向って撃て!(1969年)