ガダラのピロデモス(フィロデモス、古希: Φιλ?δημο? Philod?mos 羅: Philodemus、前110年ごろ - 前30年ごろ[1])は、古代ローマのエピクロス派の哲学者・詩人。散佚していた著作が18世紀にヘルクラネウムのパピルス荘から出土し[2]、21世紀まで解読が続いている[3]。
人物」でシドンのゼノン(英語版)に学ぶ[4]。第三次ミトリダテス戦争の難を避け[2]、前70年代ごろローマに移る[4]。そこでユリウス・カエサルの義父ルキウス・カルプルニウス・ピソ・カエソニヌスに庇護される。そのピソの別荘がヘルクラネウムのパピルス荘であり、ピロデモスも寄居したと推測される[4]。同地近郊のナポリ(ネアポリス)で講義したとも推測される[5]。
関係「ローマ哲学」も参照
同時代のナポリには、エピクロス派のシロン(英語版)を中心人物として、詩人ホラティウスやウェルギリウスも関与したエピクロス派のサークルがあり[4]、ピロデモスも関与したと推測される[6]。エピクロス派のルクレティウスも活動時代は近いが、関係は不明である[7]。
同時代のキケロは、『ピソ弾劾』(羅: In Pisonem)68-72節で、ピロデモスを暗に罵倒している[8]。
10世紀ごろ書かれた詩学書『コワスラン論考(英語版)』の喜劇論は、アリストテレス『詩学』第2巻の喜劇論に由来すると推測されるが、同書の喜劇論以外の箇所は、一説にはピロデモスに由来するとされる[9]。
著作
出土パピルス「パピルス荘」も参照
ヘルクラネウムのパピルス荘から、多分野にわたる著作のギリシア語パピルス写本が発見された。その多くは古代哲学の貴重な資料となっている[10]。18世紀出土当時のパピルスは黒焦げで解読困難だったが、その後解読が進み、ピロデモスの著作と判明した。
解読された著作の例として、エピクロス派の神学書『神々について[11]』『敬虔について[12]』、類比的推論(アナロギア)を扱った論理学書『徴証について』[13]、倫理学書『怒りについて[10]』『死について[10]』『率直な批判について[14]』、文芸論書『詩について[10]』『音楽について[10]』、修辞学書『弁論術[10]』などがある。