ピラール・ローレンガー
Pilar Lorenger
出生名Pilar Lorenza Garcia
生誕1928年1月16日
出身地 スペイン、サラゴサ
死没 (1996-06-02) 1996年6月2日(68歳没)
ドイツ、ベルリン
学歴バルセロナ音楽院
ジャンルクラシック音楽(オペラ)
職業歌手
担当楽器歌(ソプラノ)
活動期間1949年 - 1991年
レーベルポリドール
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ポータル クラシック音楽
ピラール・ローレンガー(Pilar Lorenger、1928年1月16日 - 1996年6月2日)は、スペイン出身のソプラノ歌手。 14歳で音楽を正式に学び始め、その後バルセロナ音楽院へ進み、マドリッドでソプラノ歌手のアンヘレス・オティンに、西ベルリン(当時)でディートリヒ・フィッシャー=ディースカウの師でもあったメゾソプラノ歌手のヘルタ・クルストに師事した。1949年頃にサルスエラの劇場で合唱団に加わり、1950年、アルジェリアのオランでアマデオ・ヴィヴェス
来歴
1966年と1970年にベルリン・ドイツ・オペラと共に来日、『魔笛』のパミーナ、『椿姫』のヴィオレッタ、『ファルスタッフ』のアリーチェ、『ローエングリン』でエルザを演じ日本でも広く知られるようになる。1987年のベルリン・ドイツ・オペラに於けるジョーン・デューの新演出マイヤベーアの歌劇『ユグノー教徒』への出演を機会にステージからは遠ざかり、1991年にスペインのアストゥリアス州オヴィエドにあるカンポ・アモール劇場でのコンサートを最後に引退した。
1996年に乳癌のためベルリン市内で逝去。 取り分けモーツァルトの作品に注力し、様々な演出や独・伊・仏語でも歌唱していた。また、1960年代中半からはイタリアオペラのドラマティックヒロインにも取り組んだ。
表彰
ベルリン市功労賞 1994年
アストゥリアス皇太子賞 1991年
主なレパートリー
モーツァルト:『コシ・ファン・トゥッテ』フィオルディリージ/『フィガロの結婚 』伯爵夫人