ピラミッド
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この項目では、建造物について説明しています。その他の用法については「ピラミッド (曖昧さ回避)」をご覧ください。
ギザ三大ピラミッド

ピラミッド(Pyramid、アラビア語: ???‎, haram‎)は、エジプト中南米などに見られる四角錐状の巨石建造物の総称であり、また同様の形状の物体を指すのだ。

なかでも最も有名なものはエジプトにあるギザの大ピラミッドをはじめとする真正ピラミッド群で、その形からかつては金字塔(きんじとう)という造語が使われていた。エジプトのピラミッドは世界でもっとも有名な遺跡の一つとされており[1]、現代においても「金字塔」は、ピラミッドのように雄大かつ揺るぎもしない後世に永く残る立派な業績(偉大な作品や事業)などを表す代名詞となっている。

上記のとおり、ピラミッドとして最も著名なギザの大ピラミッドが明確な四角錐の形状をしているために、ピラミッドは四角錐または三角形のものの代名詞となっているが、こうした形状のピラミッドが存在した場所は基本的に古代エジプトおよびその影響を受けたヌビア、そしてそれを模倣した後世の建築のみであり、メソポタミアジッグラトメソアメリカ各文明のピラミッドといった世界各地に存在するピラミッドの多くは、階段状に層を積み重ねていき上部のとがっていない、いわゆる階段ピラミッドが主流となっている。また古代エジプトにおいても、真正ピラミッドが出現するまでは過渡的な形態として階段ピラミッドが存在していた。

その建造方法の詳細はいまだに明らかになっておらず、例えばギザのピラミッドでは200万個もの石が「春分と秋分の日のみ、8面体にピラミッドが見える」「ピラミッドの底面積で、四面の面積を割ると黄金率が出てくる」「底辺の 1 2 {\displaystyle {\frac {1}{2}}} で高さを割ると黄金率の平方根が出てくる」「高さで2辺の和を割ると円周率が出てくる」という精密さで建造されている[2]
古代エジプトクフ王のピラミッド断面図.mw-parser-output .thumb .image-key{column-count:2}.mw-parser-output .thumb .image-key-wide{column-count:3}.mw-parser-output .thumb .image-key-narrow{column-count:1}.mw-parser-output .thumb .image-key>ol{margin-left:1.3em}.mw-parser-output .thumb .image-key>ul,.mw-parser-output .thumb .image-key>ol{margin-top:0}.mw-parser-output .thumb .image-key li{page-break-inside:avoid;break-inside:avoid-column}
入口

盗掘孔

上昇通路入口

下降通路

未完の地下室

上昇通路

女王の間

水平通路

大回廊

王の間

控えの間

脱出孔
詳細は「エジプトのピラミッド」を参照

古代エジプトにおけるピラミッドは、巨石を四角錐状に積み上げ、中に通路や部屋を配置した建造物である。王が天に昇る階段としての役割や、その斜めの外形が太陽光を模したものであるとも考えられている。ピラミッドは単体で完成したものではなく、付随する葬祭殿等との複合体として考えるべき特徴を持つ。(大ピラミッドなどの代表的な例では)ピラミッド本体には基本的に北面に入り口があり、玄室(と思われる部屋)に至る道や「重力分散の間」と呼ばれる謎の機構など、未解明の仕掛けがある。

なお、2008年11月にサッカラで発見されたシェシェティ女王のピラミッドはエジプト国内で118基目である。
奴隷による強制労働だったのか?

ヘロドトスの『歴史』に記述されて以来、一般的には奴隷強制労働で築いた王墓とされてきた。

しかし1990年代に入ってから、ギザの大ピラミッド付近でピラミッド建造に関わったとされる人々の住居跡や墓が見つかり、ピラミッド建設に関わった道具や手術痕など高度な外科治療が施された人骨が発見された。さらに、女性や子供達の骨も数多く発見され、家族で暮らしていたことが推測された。このような事実から、定住しピラミッド建設に携わっていたのは虐げられていた奴隷ではなく、専属の労働者がいたとも考えられる。

また、ピラミッド建設に必要な高い建築技術は、専門の技術者でなければ持っていないこと、建設に関する労働者のチーム編成や作業記録が文字で残っていることから、専門的な知識を持った技術者がいたことも推測される。また、住居跡があることから技術者は、年間を通してピラミッド建設現場に居住していたと考えられる。

ナイル川が上流のサバナ気候の影響で氾濫し、農業ができない間農民が労働力として使われていた救済土木事業説もあるが、それに関する論文などは存在しない。
確定的な定説はない

ピラミッドが「なんのために」「どのような建築方法で」作られたかについては定説が無い。最も有名な「王墓説」は、王家の墓が別に発見されることから否定される傾向にあり、その他「日時計説」「穀物倉庫説」「宗教儀式神殿説」「天体観測施設説」なども、その後の研究や物証によって否定されるなど主たる意見となっていない。

また、ドイツの考古学者であるメンデルスゾーンが提唱した「農民救済の公共事業説」のように、物証を伴わない説は反証されることもないが、同じく実証を伴わないアイディアに留まる傾向が強く、主たる論とはなっていない。そのため、ピラミッドは「王墓」であるという説明が続けられていることが多い。また、王墓であるかどうかとは別に、葬祭殿や付随する墓地群などから見て、ピラミッドが葬礼と関連があること自体は確実視されている。
語源

ギリシア語で三角形のパンを指すピューラミス(πυραμ??; pyramis; ピラミス、ピラムスとも)に由来するという説が最も有力。古代エジプト語ではギザのピラミッドに「昇る」という意味の「メル(ミル、ムルとも。ヒエログリフでは△と書く)」という言葉を当てていた。
形態の形成

現在我々が見るようなピラミッドの形態はある時点で突発的に形成されたわけではなく、何世代もかけて練り上げられてきたものである(ただし、それぞれのピラミッドはその形状で完成形態であるとする研究も出てきている)。
階段ピラミッドジェセル王の階段ピラミッド

階段ピラミッドはピラミッドの最初の形態で、紀元前27世紀第3王朝時代サッカラに、宰相イムホテプが設計し、ジェセル王が築いたジェゼル王のピラミッドがその始まりである。

当初は日干し煉瓦による方形のマスタバとして建立され、ピラミッド状とすることは想定されていなかったと考えられているが、幾度もの試行錯誤の末、次々と上部に煉瓦を積み上げて最終的には階段状の巨石建造物と成した[3]。一度、階段形態が完成した後も、追加して拡張が成された。

完成時の寸法は東西約121m、南北約109m、高さ約60m。このピラミッドは後世に巨大な影響を及ぼし、以後はそれまでのマスタバにかわり、ピラミッドが王墓の主流の形式となった。
屈折ピラミッドスネフェル王の屈折ピラミッド

第4王朝期に入ると、スネフェル王が既存のピラミッドを基調に、メイドゥームに51度の勾配を持つピラミッドを造り上げた。このメイドゥームのピラミッドは最初に四角錐の形状を採用しており、その意味では画期的な建造物であった。ただし、これは後に(あるいは建設途中に)崩壊した。このピラミッド(崩壊ピラミッド、偽ピラミッドとも呼ばれる)はそもそも四角錐を目指していなかったとする説もある。また、このピラミッドをスネフェルのものとして数えない場合もある。

スネフェル王はまた、屈折ピラミッドと称されることになるピラミッドも築いた。これは建設途中に(地上から49m地点で)勾配を約54度から約43度に変更していて、高さは約101mであった。屈折ピラミッドの形状の理由としては、

勾配が急過ぎて危険なため(崩壊の危険、玄室にかかる重量過多)角度を途中で変更した。

建造中に王が病気になったので、完成を急ぐため高さの目標を下げた。

これが完成形であり、下エジプト・上エジプトの合一を象徴している。

などの説がある。
真正ピラミッド赤いピラミッド

スネフェルは更にダハシュールにおいて、勾配約43度で、側面が二等辺三角形赤いピラミッドを建造。これによっていわゆる真正(しんせい)ピラミッドの外形が完成した。スネフェルが1人で3つもピラミッドを築いている点から導かれる王墓説否定論に対しては、メイドゥームのピラミッドは勾配がきつすぎて崩壊、同様に屈折ピラミッドは一定の高さ以上にできなかったので挫折した妥協の産物でしかなく、最終的に43度のピラミッドが誕生した、という反論がなされてきた。

世界一高いピラミッドは、スネフェルの次のクフ王によって紀元前2560年頃にギザに築かれたギザの大ピラミッドで、勾配は53度53分。底辺は各辺231m、高さ146mに達する。またこれは14世紀にリンカン大聖堂の中央塔が建てられるまで世界で最も高い建築物であった。第2位のカフラー王のピラミッドもこれに匹敵する、底辺215m、高さ143.5mである。この2つに隣接するメンカウラー王のピラミッドは何故か規模が縮小し、底辺108m、高さ66.5mである。この王の威光が前二代の王と比してさほど劣るものではなかったと伝えられることから、縮小の理由は謎とされている。

3つはギザの三大ピラミッドと呼ばれ、世界有数の観光地となっている。


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