この項目では、漫画家について説明しています。児童書のシリーズについては「ぴょこたん」をご覧ください。
ピョコタン
生誕 (1977-11-18) 1977年11月18日(46歳)
千葉県市川市
国籍日本
職業漫画家
活動期間1996年 -
ジャンルギャグ漫画
代表作『ピョコタンのマンガレポート』
『西日暮里ブルース』
『ぼくは任天堂信者
ピョコタン(本名:横尾 和慶、1977年11月18日[1] - )は日本の漫画家。男性。千葉県・市川市出身。千葉県立国府台高等学校卒業。血液型はO型(RH+)。身長は172cm(本人の希望により修正)。
フジテレビ公式ホームページのデジタルコミック『少年タケシ』に連載の「西日暮里ブルース」や『月刊コロコロコミック』や『ゲームラボ』誌上での漫画(ピョコタンのマンガレポート)やイラストで知られる。
人物解説
略歴
東京都荒川区西日暮里で生まれ、その後千葉県市川市で育つ。
1993年3月、市川市立下貝塚中学校卒業(1年次は、3組に所属)。
1996年3月に国府台高等学校を卒業後、同年7月に『ボンバーマン4コマまんが王国3』で漫画家デビューする(本人のホームページより)。
デビュー前には本名・横尾和慶の名義で『月刊コロコロコミック』の読者コーナーへの投稿を行っており、「スチャダラ通信」の最多掲載者(50回)でもある。この頃から現在の画風・作風が確立しつつあった。その縁もあり、老朽化で取り壊されることになった小学館ビルに落書きをする企画に参加したと、後日、ヤフー知恵袋にて、この企画に参加した理由の質問に対して回答している[2]。
雑誌のアシスタント体験企画として施川ユウキのアシスタントをしたことがある。
プロフィール
健康マニアであり、かつて「長命源」という長生きできる液体を毎日飲んでいた。
カタンというボードゲームが得意であり(自称最強)、国内で行われる大会には頻繁に出場している。一時期はカタンの攻略を扱ったホームページを作成していた。カタンの他にも対人戦のゲームを好んでいるらしく(麻雀・ボンバーマン・パワフルプロ野球等)、基本的に先手を打って相手を追い詰める戦法が得意らしい。ポーカーの世界大会にも参加経験あり。
以前は視力がかなり悪く両目が0.07ほどしかなかったため、コンタクトレンズを愛用していたが、2006年11月にレーシックの手術を行い視力が大幅に回復した。
彼と交流のあるジャンクハンター吉田が語るには、XBANDで出会った頃は今の人物像とは違い、尖った人物だったと懐述している(実際に会うきっかけとなったXBANDのイベントでは、頭にパンスト・水中メガネ・くわえタバコの出で立ちであったとか)。
SFC末期頃にデパート等で投げ売りされていた新品SFCソフトをゲームショップへ転売(正確には中古買い取りのシステムを利用)した錬金術を駆使していた事があり、2日で5万円稼いだとの本人談[3]。
基本的には漫画の中で実際の自分として登場する(画像として)場合、自分の素顔をキャラの自分の絵で隠したりするが、他雑誌の企画等では普通に素顔を出している(ただし、後述するWiiリモコン騒動の際は自分の単行本で隠していた)。
尊敬する漫画家として、長谷川町子[4]ややなせたかしを挙げている。
原憲彦との関係
「日本一まずいラーメン屋」としてテレビ等で取り上げられたラーメン彦龍の常連客であり、店主の原憲彦とはプライベートでも親交が深かった。本人が来店した時の様子は度々ピョコタンのマンガレポートにネタとして取り上げている。「アホ汁」というスープを共同開発したことがある[5]。
ニコニコ生放送
2011年8月ごろからニコニコ生放送にて、いわゆる生放送主として個人的に活動を始め、頻繁に放送を行っている。
投資や仮想通貨
20代の頃から東京証券取引所市場第一部「任天堂」株式会社に推定150万円前後の資金を投資し、株主総会にも出席している。
2017年12月にファミコンミニなどを株式会社Floor tracks(代表者:松田航)が運営するAVACUSを利用しビットコインで購入したことを報告。仮想通貨の知識は深い。[6]
逸話
同人ボードゲーム「アイソポス」の世界ランカーである。
ギャンブルはほとんどやらないが、ゼロサムゲームである麻雀やポーカーなどは好み、動画配信も頻繁に行なっている。
1992年に球団が千葉に本拠地を移転して以来の熱狂的な千葉ロッテマリーンズファンであることを公言している。