ピューリタン
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戯曲については「ピューリタン (戯曲)」をご覧ください。

「清教徒」はこの項目へ転送されています。オペラ作品については「清教徒 (オペラ)」をご覧ください。
マサチューセッツ州スプリングフィールドにある彫像「ピューリタン」(オーガスタス・セント=ゴーデンス作、1887年)

ピューリタン(英語: Puritan)または、その日本語訳として清教徒(せいきょうと)は16世紀から17世紀にかけてイングランド王国で活動した改革派プロテスタントの総称。ローマ・カトリックの影響を取り除こうとしたエリザベス1世の宗教改革が不十分だとして、国教会のさらなる改革を訴える形で登場し、時に大きな社会運動を伴ったために、イギリスと初期アメリカの歴史(特に護国卿時代)に大きな影響を与えた。彼らの思想や行動原理はピューリタニズム(英語: Puritanism、清教主義)と呼ばれる。名称は清潔、潔白などを表す「Purity」に由来し、転じて頑固者や潔癖者を意味するなど、本来は蔑称であった。

16世紀、キリスト教は北ヨーロッパを中心にマルティン・ルタージャン・カルヴァンらによってローマ・カトリックへの反発から宗教改革が始まり、カトリック(旧教)から分離したプロテスタント(新教)が登場した。同時期、イングランドでも、ヘンリー8世及びエリザベス1世が、同国へのローマ・カトリック(ローマ教皇)の影響力を取り除くために宗教改革に乗り出し、国王を首長と認めるイングランド国教会を成立させた。イングランドの宗教改革は同じくプロテスタントと呼ばれるものの、動機が純粋に政治的なものであったことから、国教会の教義や典礼はカトリックに近く、宗教的観点から大陸の改革派教会の在り方を望ましいと考える者たちにとっては不満のあるものであった。彼らは大陸のプロテスタントらと同じような、教義がより純化した改革を求めて行動を始めた。この者たちを総称してピューリタンと呼ぶようになった。

ピューリタンの中でも求める改革の強度によって諸派に分かれた。大きくは国教会内部からの改革を目指した長老派と分離も辞さなかった分離派、その分離派の流れを汲む独立派に分かれる。長老派は初期のピューリタンの主要勢力で国教会改革を進め、分離派は初期アメリカ入植者としてニューイングランドの形成に大きな影響を与え、独立派は清教徒革命(1642年-1649年)を経て力を持ち、王政を廃してイングランド共和国(1649年-1660年)を成立させた。さらにここから、教義や望ましいと考える教会統治制度によって会衆派バプテスト派などに分かれていく。

ただ、もともとプロテスタント内でも明確に定義づけられた言葉ではなかったこともあり、18世紀以降は特にピューリタンという言葉は用いられなくなった。特にイギリス史上では王政復古(1660年)以降に国教会に大部分を吸収され、単一の政治勢力としてのピューリタンはいなくなった。さらに名誉革命(1689年)以降は、国教会以外のプロテスタント教派も認められたことによって、彼らはピューリタンから派生した諸教派(長老派や会衆派、バプテスト派など)の具体的な信徒として認識・呼称されることになる。
定義17世紀の著名なピューリタン神学者
上段:トマス・ガウジ(英語版)、ウィリアム・ブリッジ(英語版)、トマス・マントン(英語版)
中段:ジョン・フラヴェル(英語版)、リチャード・シッベス(英語版)、スティーブン・チャーノック(英語版)
下段:ウィリアム・ベイツ(英語版)、ジョン・オウエン(英語版)、ジョン・ハウ(英語版)
最下段:リチャード・バクスター詳細は「ピューリタニズムの定義(英語版)」を参照

一般にピューリタンと言った場合、16世紀から17世紀にかけてイングランド国教会宗教改革を不十分とみて、さらにローマ・カトリックの慣行を排除しようとしたイングランドプロテスタントの一派のことである[1]

17世紀において、ピューリタン(清教徒)という用語は単一のグループを指す言葉ではなく、複数のグループに適用される言葉であった。現代においても歴史家の間で正確な定義は定まっていない[2]。本来、「ピューリタン」(puritan)という言葉は、過激派と見なされた特定のプロテスタント集団を指す蔑称であった。トマス・フラー(英語版)は『教会史』の中で、この言葉が最初に用いられたのは1564年であるとしている。当時のマシュー・パーカー大主教は、ピューリタンを、現代の stickler (潔癖者や頑固者)とほぼ同じ意味で用いていた[3]。つまり、当時においてピューリタンは「その辺のプロテスタントやイングランド国教会の信徒よりも熱心なプロテスタント」を特徴的に呼ぶ用語だった[4]。よって、こうした侮蔑語である「ピューリタン」をピューリタン自身が使うものではなかった。彼らは自分たちのことを「敬虔な者(the godly)」「聖なる者(saints)」「告白する者(professors)」「神の子たち(God's children)」などと自称していた[5]

ピューリタンは、大きくはイングランド国教会を否定し、独自の革新教会を作ろうとした「分離派」(Separatists, Separating Puritans)と、国教会の改革に不満を持ちながらも、留まって内部から改革を試みた「非分離派」(Non-separating Puritans)に分けられる。分離派は国教会はあまりにも腐敗し、真のキリスト者は袂を分かつべきだと主張し、このため、後には「非国教徒(Nonconformists)」[注釈 1]とも呼ばれた。一方で、国教会の権威を認める非分離派でも、さらなる改革がどの程度可能なのか、あるいは必要なのかという点では意見が分かれた。歴史上は最も広義の意味で、両者をピューリタンに含む[6][7]

一方で、16世紀から17世紀にかけて存在した他の急進的なプロテスタントの教派とは区別しなければならない。具体的には聖書よりも直接的な啓示(英語版)を優先したクエーカー派、シーカー派(英語版)、ファミリスト(Familia Caritatis)などであり、彼らはピューリタンに含めない[8]

現代の英語において「ピューリタン」は、しばしば「禁欲主義」を意味し、快楽主義(puritanism)の対義語として用いられることがある[9]ウィリアム・シェイクスピアの『十二夜』(1601年?)では、自惚れ屋で尊大なマルヴォーリオが「一種のピューリタン」と表現される[10]。H.L.メンケン(英語版)はピューリタニズムを「どこかの誰かが幸せになっているかもしれないという偏執的な恐怖」と定義している[11]。ピューリタンは結婚という制度の中において性的な事柄も認めていた。ピーター・ゲイは、「気難しい禁欲主義者」といったピューリタンに対する一般認識を「19世紀に疑われることもなかった誤り」と指摘している。彼はエドワード・テイラー(英語版)やジョン・コットン(英語版)の例を引きながら、彼らがいかに禁欲主義とは無縁であったかを説き、夫婦間の性行為を推奨し、カトリックの処女崇拝を批判していたと説明している[12]。マサチューセッツ州西部にあったピューリタンの集落では、夫が妻への性的義務を果たすことを拒否したことで、夫が追放されたという事例もあった[13]
歴史詳細は「ピューリタンの歴史(英語版)」を参照

ピューリタニズムは1世紀にわたって歴史的に重要な意味をもった。さらにその後、ニューイングランドでは半世紀にわたる発展があった。ただ、その間、その性質や彼らが重視するものは、約10年間隔で変化していった。
前史・背景.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}}マルティン・ルタージャン・カルヴァン


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