ピピン_(イタリア王)
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ピピン
Pepin / Pipino
イタリア王

在位781年 - 810年
戴冠式781年

出生777年
フランク王国
死去810年7月8日
ミラノ
子女一覧参照(庶子のみ)
家名カロリング家
王朝カロリング朝
父親カール大帝
母親ヒルデガルド
宗教カトリック教会
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ピピン(:Pepin, :Pipino, :Pippinus, 777年 - 810年7月8日)は、フランク王国の国王カール大帝と王妃ヒルデガルドとの間の次男であり、イタリア王ランゴバルド王)(在位:781年 - 810年)である。
生涯

初めの名はカールマンといったが[1]781年4月14日、教皇ハドリアヌス1世が代父となり洗礼が授けられたとき、父カールによってピピンに改名された[2]。同年、ピピンはイタリア王となり、教皇ハドリアヌス1世の手により戴冠された[3]

810年、ピピンはミラノにて死去。彼の死後、子供たちはカール大帝のアーヘンの宮廷に引き取られた[4]
子女

庶出の王子1人と王女5人がいる[5]

ベルンハルト(797年 - 818年) - イタリア王(813年 - 818年)、子孫はヴェルマンドワ伯となった。

アデライーデ

アドゥラ

グンドラーダ

ベルトラーデ

テオドラーダ

脚注[脚注の使い方]^ 五十嵐、p. 134
^ 五十嵐、p. 81
^ 五十嵐、p. 83
^ 五十嵐、p. 209
^ Settipani, p. 212

参考文献

五十嵐修『地上の夢 キリスト教帝国 カール大帝の〈ヨーロッパ〉』講談社、2001年

Christian Settipani, The Prehistory of the Capetian (New genealogical history of the august house of France, vol. 1), Villeneuve d'Ascq, ed. Patrick van Kerrebrouck, 1993545 p. (
ISBN 978-2-95015-093-6) , p. 211-2

MEDIEVAL LANDS, "Carloman (Pepin)"(2016年11月20日閲覧)

関連項目

イタリア王

ランゴバルド王国










イタリア王(781年 - 810年)
カロリング朝

カルロ・マーニョ774-814 / ピピン(父と共治)781-810 / ベルナルド810/3-818 / ロドヴィコ1世818-840 / ロターリオ1世818/22-855 / ロドヴィコ2世844-875 / カルロ2世875-877 / カルロマンノ877-879 / カルロ3世879-887


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