ピネローロ
Pinerolo
行政
国 イタリア
州 ピエモンテ
県/大都市 トリノ
CAP(郵便番号)10064
市外局番0121
ISTATコード001191
識別コードG674
分離集落#分離集落参照
隣接コムーネ#隣接コムーネ参照
地震分類zona 3s (sismicita bassa)
気候分類
ピネローロ(イタリア語: Pinerolo)は、イタリア共和国ピエモンテ州トリノ県にある、人口約3万6000人の基礎自治体(コムーネ)。
中世には交通の要衝であり、サヴォイア家によって要塞が建設された。フランス王国領であった17世紀後半、ピネローロの要塞には、謎の多い囚人「鉄仮面」が収容された。 イタリア語以外では以下の名称を持つ。 トリノ県南部のコムーネで、県都・州都トリノの南西約40kmに位置する。トリノ県概略図 隣接するコムーネは以下の通り。 中世のピネローロは、イタリアにおける交通の要衝の一つであり、サヴォイア家が要塞を築いた。軍事的な重要性ゆえに、良く知られた軍学校の起源となる学校が置かれている。フェネストレッレの要塞も近くにある。 ピネローロについて最初に言及された文献は10世紀のもので、当時ピネローロはトリノ領主のトリノ辺境伯領 1235年、サヴォイア伯アメデーオ4世は、ピネローロを一種の保護領とした。1243年、ピネローロはサヴォイア家による完全な支配下に置かれた。以後、サヴォイア家(のちにサヴォイア=アカイア家)の所領となった。1247年、ピネローロにはコムーネ(市民共同体)が成立する。ピネローロ修道院長は引き続きアバディア・アルピナの修道院領の行政にあたっていた。 1536年にフランス王国軍がピエモンテに進攻すると、ピネローロも占領され、1574年までフランスによる支配を受けた。 1631年のケラスコ条約
名称
フランス語: Pignerol(ピニェロール)
地理
位置・広がり
隣接コムーネ
ブリアスコ
クミアーナ
フロッサスコ
ガルツィリアーナ
マチェッロ
オザスコ
ピナスカ
ピシーナ
ポルテ
ロレット
サン・ピエトロ・ヴァル・レーミナ
サン・セコンド・ディ・ピネローロ
スカレンゲ
歴史
大同盟戦争中の1696年、フランス王ルイ14世はサヴォイア公ヴィットーリオ・アメデーオ2世にピネローロを返還することに同意した(トリノ条約 (1696年))。ただし、返還に際しては、要塞を破却することと、ルイ14世に敵対していたアウクスブルク同盟からサヴォイアが脱退することが条件とされた。
2006年トリノオリンピックではカーリングの会場となった。 ピネローロには、以下の分離集落(フラツィオーネ)がある。
行政
分離集落
Abbadia Alpina, Ainana, Avaro/Tron, Bacchiasso, Batur, Baudenasca, Biscornetto, Borgata Colombaio, Borgata Orba, C.E.P., Cascina della Cappella, Cascina Ghiotta, Cascina Gili, Cascina Nuova, Cascina Pol, Case Bianche, Case Nuove, Colletto, Gerbido di Costagrande, Gerbido di Riva, Graniera, Losani, Motta Grossa, Pascaretto, Riauna, Riva, Rubiani, Salera, San Martino, Stazione di Riva, Talucco, Villa Motta Rasini
姉妹都市
ギャップ、フランス 1963年
トラウンシュタイン、ドイツ 1986年
San Francisco
デルヴェンタ、ボスニア・ヘルツェゴビナ 2005年
人物
著名な出身者
ルイージ・ファクタ - 19-20世紀の政治家、イタリア王国首相。
フェルッチョ・パッリ(英語版) - 20世紀のパルチザン活動家・政治家、第二次世界大戦末期のイタリア王国首相。
ゆかりの人物
ニコラ・フーケ - 17世紀のフランスの政治家。失脚後、ピネローロの監獄に収容され、当地で没。
鉄仮面 - 17-18世紀のフランスの囚人。1669年にピネローロの監獄に収容され歴史に登場する。
脚注^ 国立統計研究所(ISTAT). “ ⇒Total Resident Population on 1st January 2020 by sex and marital status” (英語). 2020年12月15日閲覧。