ピット_(核兵器)
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デーモン・コアプルトニウム臨界量を求めるための実験に使われ、後にクロスロード作戦エイブル実験で用いられた。1945年と1946年に臨界事故を起こし、2名の科学者の命を奪った。プルトニウム球の周りは中性子を反射する炭化タングステンのブロックで囲まれている。プルトニウム製ピット生産用の精密鋳型(1959年)

ピットは爆縮型核兵器において核分裂性物質およびそれに取り付けられた中性子反射体またはタンパーからなるコアのことで、アンズの固い種にちなんで名付けられた。1950年代に実験に供された核兵器のピットはウラン235のみ、あるいはウラン235プルトニウム複合材で作られていた[1]が、プルトニウムのみとする方が小型化できるため1960年代初めにはプルトニウムのみで作られるようになった。


目次

1 設計

1.1 クリスティ・ピット

1.2 浮上型ピット

1.3 中空ピット

1.4 複合コアとウラン製ピット

1.5 密閉ピット

1.6 線形爆縮ピット

1.7 兵器間でのピット共通化


2 核兵器とピットタイプ

3 安全性について

4 材質

4.1 腐食の問題

4.2 含有同位体の問題

4.3 経年劣化の問題


5 生産と査察

6 ピットの再利用

7 訳注

8 脚注


設計
クリスティ・ピット

最初の核兵器に用いられたピットは均質型で、中心に中性子点火器(英語版) urchin が収められていた。ガジェットファットマン は400 ・200 MPaでホットプレス成形した直径 9.2 センチメートルの半球型ピット(中央に点火器を収める直径 2.5 センチメートルの空間を設けてあった)を用いていた。ガジェットに用いられたピットには厚さ0.13 ミリメートルの電気めっきされていたが、膨れを生じたため削り落として金箔を張り直さなければならなかった。このため、ファットマンで用いられたピットにはニッケルメッキが施された。中空ピット(hollow pit)の方が効率が高いことは分かっていたが、爆縮レンズに求められる精度が非常に高くなることから技術的リスクを避けるためガジェットおよびファットマンには使われなかった。

後の設計では中性子点火器 TOM を使用したが、収容スペースが直径 1センチメートルで済むようになった。その後は内蔵型の中性子点火器は使われなくなり、ブースト型核分裂兵器ではパルス中性子源が利用されるようになった。

この設計は、エドワード・テラーのアイデアを元に実設計を行ったロバート・クリスティにちなみ、クリスティデザインと呼ばれている[2][3][4]。 ピット本体を含む物理設計全体には非公式に「クリスティ(の)ガジェット(Christy['s] Gadget)」という愛称が付けられている[5]
浮上型ピット

タンパーとピットの間に空間を設けると、衝撃波がピットに達する前に速やかに加速されるため爆縮の効率が高まることが知られている。これは浮上型ピット(levitated-pit)と呼ばれており、1948年にファットマン型の原爆 Mark 4 で試されたが、すぐに中空ピットが開発されて時代遅れになってしまった。

浮上ピットを用いた初期の核兵器ではピットが取り外し可能になっていて、開放ピット(open pit)と呼ばれていた。ピットは本体とは別に、鳥かご(birdcage)と呼ばれる特別な容器に格納されていた[6]
中空ピット

中空ピット("hollow pit")を爆縮するとプルトニウムは内側に圧縮され、途中で衝突して高密度の球体となり超臨界に達する。勢いがついたプルトニウムはそれ自身がタンパーの役割を果たすため、タンパー層に用いるウランの量を減じることができ、弾頭の重量とサイズを小さくすることができる。中空ピットは従来の均質な球形のピットよりも効率がよいが、代わりに爆縮により高い精度が求められた。このため、最初の実用兵器には均質型のクリスティ・ピットが選ばれたのである。1945年8月に終戦を迎えると、研究者達は中空ピットの課題解決に集中することになり、理論部門のハンス・ベーテを中心として開発が進められた[7]。中空ピットの開発が最大の関心事になったのは、プルトニウムが高価だったことと、プルトニウムを生産するB原子炉がトラブルを起こしがちだったためであった。

中空ピットは、爆縮の瞬間に内部の空洞に重水素三重水素の等量混合物を注入することによって出力を増強できるという利点があった。これはブースト型核分裂兵器と呼ばれ、核爆発に必要なプルトニウムの量をさらに減らすことができた。また、重水素-三重水素混合物の注入量や中性子源からの中性子パルスの強度とタイミングを緻密に制御することにより、核出力を可変とすることもできた。
複合コアとウラン製ピット

当時、プルトニウム239の供給量が減ってきていたため、プルトニウムの使用量をさらに減らすため複合コア("composite core")が開発された。これは、プルトニウムの中空ピットの周りをさらに高濃縮ウランの中空ピットで囲んだものであった。複合コアは1947年の終わり頃にMark 3に搭載された[8]。例えば、Mark 4 の複合コアは 2.5 キログラムのプルトニウムと 5 キログラムのウランを用いた 49-LCC-C コアであった。爆発の際に放出されるエネルギーに寄与するのはプルトニウムの35%とウランの25%だけであり、効率はよくなかったが、プルトニウムの使用量を節約できるのは核兵器を量産する上でメリットが大きかった[9]

異なるピット素材を検討する要因となったのは、プルトニウムとウランの振る舞いの違いである。プルトニウムの核分裂反応は速く、しかも多数の中性子を生成するので効率がよいが、生産コストが高いうえに稼働可能なプルトニウム生産炉も限られていたことから大量に調達するのは難しかった。一方、ウランの核分裂反応は遅く、そのため臨界量も多かったが、核兵器の量産に堪えるだけの生産量が確保できた。複合コアの検討は遅くとも1945年7月には始まり、1946年には利用可能になった。ロスアラモス国立研究所は全ウラン製ピットの設計を優先して進めることになった。新型ピットはサンドストーン作戦で実験に供された。

核兵器の出力はピットの選択により制御することができる。例えば、Mark 4 は必要な出力に応じて次の3種類のピットを使い分けるようになっていた[10]

49-LTC-C ・・・ 浮上型ウラン235製ピット(1948年5月14日のサンドストーン作戦ゼブラ実験で使用)

49-LCC-C ・・・ 浮上型ウラン-プルトニウム複合コア

50-LCC-C ・・・ 浮上型複合コア

この方法は、より現代的なピットが取り外せない核兵器において現場での核出力調整に使えるものではなかったが、あらかじめ戦術目的に応じた核出力を持つ複数のサブタイプを作り分けておくことができた。 初期のアメリカ製核兵器では ピットのアセンブリがタイプC とタイプD に標準化されていた。Mark 4はどちらも使用でき、飛行中に手作業で組み込んでいた[訳注 1]Mark 5ではタイプD を使用して飛行中に自動で組み込めるようになった。Mark 5を弾頭化した W5 も同様であった。続くMark 6では同じピットを使うようになった。

ピットはプルトニウム239のみ、プルトニウム239とウラン235の複合材、ウラン235のみのいずれでも構成できる。プルトニウムが最も一般的な選択だが、イギリスの バイオレットクラブ(英語版)爆弾とオレンジヘラルド弾頭はそれぞれ87キログラムと117キログラム(資料によっては98キログラムと125キログラム)の高濃縮ウランで作った中空ピットを用いていた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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