ピストン西沢
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ぴすとん にしざわ
ピストン 西沢
生誕 (1964-09-02)
1964年9月2日(59歳)
日本 東京都目黒区祐天寺
出身校成城大学 中退
職業DJ
ラジオパーソナリティ
配偶者独身[1]
公式サイトピストン西沢オフィシャルブログ「ぴすちゃん劇場」 - Ameba Blog
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ピストン 西沢(ピストン にしざわ、1964年9月2日[2][1] - )は、日本DJ[3]ラジオパーソナリティリミックス・エンジニア

本名:西澤 健(にしざわ けん)。愛称は、「ピス」、「ピス兄(ピスにい)」「ピスちゃん」など。座右の銘は「他力本願」。
来歴

東京都目黒区祐天寺出身。成城大学経済学部中退。大学在学中からクラブDJを始め、ダンス・ミュージックリミックスを多数手がける。

その後、DJ.ICHIRO名義で「ダンス☆マン&ザ・バンド☆マン」のリーダーとして活動。横浜のDISCO PLAZA CIRCUSでもDJをしていた。
音楽活動

モーニング娘。(『LOVEマシーン』『恋のダンスサイト』など)を始め様々な歌手の楽曲を多数リミックスしており、ピストン西沢名義でネオンパーク『用がなければ帰ります』(1996年)、Valerie B.『Don't You Wanna Party?』(1998年)、広瀬香美More More Love Winters』(2000年)など、これまでに数多くの作品にリミキサーとして参加している。

1998年 『Biohazard 2』のリミックス・アルバム『Biohazard 2 ReMix ?met@morPhoses?』を制作。2005年に綾小路きみまろ漫談トランスをリミックスしたアルバム『きみまろトランス』で楽曲提供とリミックスを行い、第47回日本レコード大賞で企画賞を受賞。

2006年5月には福山雅治の楽曲を西沢がリミックスした企画アルバム『Fukuyama Masaharu ANOTHER WORKS remixed by Piston Nishizawa』が発売され、オリコンアルバムチャート初登場2位を記録。「HEAVEN」・「Dear」には、秀島史香がナレーションで参加している。

これらの他にも、当時のJ-WAVEナビゲーター(パーソナリティ)が多数参加するTechnotronic『Get Up!』のリミックスやSKOOP(現・Skoop On Somebody)『壊したい』の「GROOVE LINE Mix」(HMV渋谷で店頭配布)などがある。

2010年4月には「柄沢怜奈とお兄ちゃん」の「チンチンポンポン」というカバー楽曲にお兄ちゃんとしてゲスト参加・ボーカルを務めた。同楽曲ではプロデュースの他、リミックスも行った。
ラジオ

TOKIO HOT 100J-WAVE)やハマラジ(現・横浜エフエム)でディレクターとして仕事をしていたが、個性的なキャラクターとトークの器用さから1994年からナビゲーター(パーソナリティ)として番組に出演するようになる。1997年10月から平日夕方のTHE VILLAGE Part2(火?金曜)を担当、1998年以降は同時間帯のGROOVE LINE Z(旧「GROOVE LINE」)のナビゲーターとして現在に至る。同番組ではリスナーの投稿を基に、秀島史香とのツインナビゲートでノンストップトークを展開、またMix Machineコーナーでは即興であらゆるジャンルの楽曲をDJミックスしている。同番組は2009年9月まで公開生放送だったが、平日夕方・衆人環視の公開生放送にも拘らず、観客いじりや下ネタを振ることが多く、同番組内で「俺のwiki読んだけどデタラメでした。でも編集しません。」と発言している。ちなみに横浜エフエムで仕事をしていたころの愛称が「ハマラジ」だったため、GROOVE LINEで話をするとき、「俺が"ハマラジ"で仕事をしていたとき…」という話し方をすることがある。第48回ギャラクシー賞でDJパーソナリティ賞を受賞した[4]。2022年9月を以てGROOVE LINEが終了となることをアナウンスした。その理由について「J-WAVEの憲法に反した」などと同番組内で説明した。
モータースポーツ

好きとして知られ、自動車雑誌に新車評を寄稿する他、ベストモータリングでは本人自ら出演もしている。その関係もあり、土屋圭市鈴木亜久里片山右京川井一仁などのモータースポーツOB・関係者や伊藤大輔本山哲脇阪寿一を初めとするGTドライバーや今村陽一熊久保信重などの全日本プロドリフト選手権ドライバーとも親交があり、業界内では顔が広い。日本カー・オブ・ザ・イヤーの選考委員を務めるほか、レーサーとしてインテグラレース(2003年には予選3位を獲得)やスーパー耐久などに参戦するなどしている(自らをプロのアマチュアレーサーと称している)。2005年11月20日にツインリンクもてぎにて行われたスーパー耐久シリーズ第8戦ではTUBE松本玲二と共にST4クラスに参戦、優勝。2007年はロータス・エリーゼのみのワンメイクレース、ロータスカップジャパンに参戦、全4戦中、3戦で優勝を飾った。
ハンバーガー

2007年にバーガーキング日本に再上陸した時、国内1号店である「新宿アイランドイッツ店」のグランドオープニングセレモニーにて、ファン代表として登場した[5]
パスタ(ニューオークボの生パスタと乾麺)

株式会社ニューオークボのHPにて、西沢自身が同社の生パスタ、乾麺の熱烈なファンとしてその魅力について語っている[6]

またYouTubeでは、同社公式チャンネル[7]において西沢自身が同社パスタを用いて調理する動画が複数アップされている。
人物

(参考:“ラジオ界の宝”ピストン西沢の「GROOVE LINE」、24年半の歴史に幕 「ラジオのために生まれてきた」)西沢の父は当時通産省の官僚であり、彼も父親が薦める企業に勤めるはずであったが、ディスコでDJをすることになった。『GROOVE LINE』の初代プロデューサーで当時を知る杉山博によれば、「彼がターンテーブルミックスを始めると客が集まってきてフロアがぎゅうぎゅうになるんです。とんでもなく人気のあるDJでした」と語る。また、西沢は自身について「小さい頃から今まで子どもが興奮しているような状態がずっと続いている。うるさい子どもだったと思うし、我慢しないと社会でうまくやっていけないことはわかっていたから、自分の能力でごはんが食べられるところを目指した」と語っている。

その後、横浜エフエムの深夜番組で喋り手となり、J-WAVEのパーティーでDJをした際、自らプレゼンして番組制作に携わるようになったという。杉山は「人気DJなのに、一から番組作りを学びたいと言ってADから始めました。努力家で、でも振り切った面白さがあるやつなんで、スタッフの中でも瞬く間に知れ渡り、裏方よりしゃべったほうがいいんじゃないか、となったんです。」と当時を語っている。

J-WAVEでの初出演番組『THE VILLAGE』の3週目くらいに、留守番電話にリスナーが入れた鼻歌の曲名を当てる企画を始めた。「それから番組がうまく回り出しました。僕は制作者としての勘が働いたから生き延びた。どうしたら面白くなるか、自分で矯正していったんでしょうね」と振り返る同コーナーは『GROOVE LINE』では「MUSIC RESQUE」として長年放送される事になる。

その『GROOVE LINE』は旧態依然の"More Music Less Talk"路線からは大きく異なり、ゲストをいじったり、リスナーとの電話を途中で切ったりと、やんちゃな番組は評判になった一方で歓迎しない人もいたという。現在のプロデューサーである松尾健司は、「ただ話しているのではなく、番組が面白いのか、リスナーは喜んでいるのか、スポンサーがどう思っているかまで、360度が見えている。そんな人はそうそういません」と評価し、西沢自身も「僕がディレクターとして自分を見たら、これだけラジオに合ってるやつはいないと思いますね。ラジオのために生まれてきたやつだとも言えます」と語っている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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