旗紋章
行政
国 イタリア
州 トスカーナ
県/大都市 ピストイア
CAP(郵便番号)51100
市外局番0573
ISTATコード047014
識別コードG713
分離集落#行政区画参照
隣接コムーネ#隣接コムーネ参照
公式サイト ⇒リンク
人口
人口89116 人 (2024-01-01 [1])
人口密度376.4 人/km2
文化
住民の呼称pistoiesi
守護聖人San Jacopo
ピストイア(伊: Pistoia ( 音声ファイル))は、イタリア共和国トスカーナ州北部にある都市で、人口約89,000人の基礎自治体(コムーネ)。ピストイア県の県都である。
フィレンツェの北西約33kmに位置し、その大都市圏 (it:Area metropolitana Firenze - Prato - Pistoia) に含まれる。 ピストイアの市街はピストイア県の東部に位置し、州都フィレンツェの北西約33km、ピサの北東約47km、ボローニャの南南西約71kmにある。 コムーネ(自治体)としてのピストイアの面積は 236.77 km2 に及び、ピストイア県の北東部に広がっている。コムーネの面積は県のおよそ1/4を占めている。中心市街はコムーネの南部に位置し、北はエミリア=ロマーニャ州と接する。 隣接するコムーネは以下の通り。括弧内のBOはボローニャ県(エミリア=ロマーニャ州)、POはプラート県所属を示す。 フィレンツェ平野の北西部に位置する。アルノ川の支流であるオンブローネ・ピストイエーゼ川 (it:Ombrone Pistoiese ピストイアにおけるイタリアの気候分類 (it ピストイアの地は、ガリア人やリグリア人、エトルリア人の居住地であった。紀元前6世紀、カッシア街道沿いのこの都市は、ローマの植民都市となった。ラテン語では Pistorium や Pistoriae などとも綴られる。 紀元前62年、共和政ローマの転覆を図ったルキウス・セルギウス・カティリナとその同調者は、この都市の近くで処刑された。 5世紀以降、ピストイアは司教座都市となった。ランゴバルド王国の統治の下、この都市は王の都市としていくつかの特権を獲得した。1177年、ピストイアは自由都市(コムーネ)であることを宣言し、重要な政治の中心地となった。以後、市壁や公共建築物・宗教建築物の建設などが行われている。 教皇派(ゲルフ)と皇帝派(ギベリン)の争いの中で、ピストイアはギベリンにつき、ゲルフのフィレンツェに敗れた。しかし、党派抗争はゲルフ内部の黒派と白派に受け継がれた。14世紀の半ば、ルッカの傭兵隊長 Castruccio Castracani フィレンツェの政治家・作家であるダンテは『神曲』地獄篇(1304年から1308年頃)の中で、登場人物ヴァンニ・フッチ (Vanni Fucci 16世紀、この都市では短銃の生産が盛んとなったが、一説によればピストイアは「ピストル」の名の由来となったという[6] 。1540年ころにこの町に住む銃工カッミーロ・ヴィッテーリ(Camillo Vitelli)が短銃を発明し、それがピストルの語源になった、という説がある。 1787年、ジャンセニスムによる教会改革を掲げた著名な教会会議がピストイアで開かれている (Synod of Pistoia ピストイアには、以下の分離集落(フラツィオーネ)がある。
地理
位置・広がり
隣接コムーネ
リッツァーノ・イン・ベルヴェデーレ (BO) - 北
アルト・レーノ・テルメ (BO) - 北
サンブーカ・ピストイエーゼ - 北東
カンタガッロ (PO) - 北東
モンターレ - 東
アリアーナ - 東
クアッラータ - 南東
セッラヴァッレ・ピストイエーゼ - 南西
マルリアーナ - 西
サン・マルチェッロ・ピテーリオ - 北西
地勢
気候分類・地震分類
歴史
古代
中世
近世
行政
行政区画
Badia a Pacciana
Baggio
Bargi
Barile
Bonelle
Borghetto
Bottegone
Bussotto
Caloria
Campiglio
Canapale
Candeglia
Capostrada
Casamarconi
Case Nuove di Masiano
Cason de Giacomelli
Cassarese
Castagno di Piteccio
Castagno di Pieve a Celle