ソロモン諸島の「ピジン語」とは異なります。
ピジン言語(ピジンげんご、pidgin language、または単にpidgin)とは2ヶ国語が混合されて出来た通用語。
現地語を話す現地人と、現地語を話せず外国語を話す貿易商人などとの間で異言語間の意思疎通のために互換性のある代替単語で自然に作られた接触言語。共通言語が無い複数の集団が接触してコミュニケーション手段として形成される。
英語と現地の言語が混合した言語を「ピジン英語」といい、英語の“business
”が中国語的に発音されて“pidgin”の語源となったとされている。フランス語をベースにそれ以外の言語と混成したものは、「ピジンフランス語」。例えば、“Long time no see.”(「お久しぶり」)は明らかに英語の構造を持っていないが、それなりに意味が伝わる(中国語の很(very) 久(long time) 不(not) 見(see)から来たとされる説もしくはインディアン・ピジンAmerican Indian Pidgin Englishの一例)ので多用されている。 ピジン語の(単語における)特徴は概ね次の通りである[1]。 さらにピジン語の文の特徴として[2]。 補助言語から共通語としての社会的な公的地位を与えられることもあり、「ピジンの拡張」と呼ばれる。
特徴
ベースとなる言語の語形変化が単純化される。
語彙はベースとなる言語に比して極端に少ない。一つの単語が多義的に用いられる。
ベースとなる言語の語彙以外に、他の言語の語彙が混入する。
複数の言語の発想が合成され使われる事例がみられる。(横浜ピジン日本語を参照)
ピジン言語の例
ピジン英語の例
メラネシア
トク・ピシン(tok Pisin) - パプアニューギニアとその周辺。現在は母語話者が存在する。
ピジン語(Pijin Language) - ソロモン諸島の共通語。現在はクレオール言語とされる。
小笠原諸島
19世紀中頃より小笠原諸島において、欧米系の元船員および南洋諸島出身者による開墾者(欧米系島民)が定住しており、ピジン英語が日常的に用いられた[3]。その後の明治時代からの日本系開拓民の到来や太平洋戦争後のアメリカ合衆国統治を経て、とりわけ父島では独特な接触言語が形成されたが、現在は日本語の勢いに押されて、ほとんど使われていない。
ハワイ
1898年のハワイ併合によりハワイで英語が普及すると、日系移民の間ではピジン英語(ハワイ・クレオール英語)が話されるようになった。特にギャンブルで有り金すべてをつぎ込むことを意味する『Go for broke
その他
ナイジェリア・ピジン
トク・ピシン
ピジン語
ビスラマ語
ピジン日本語の例
「私、中国人あるね。」→協和語・役割語
横浜ピジン日本語[2]
中国語と英語と日本語の合成(横浜に居住していた英語圏の人々や中国語圏の人々が上層言語である日本語を話す必要があったことから発生[5]。日本語が上手でなかった英語圏の人々や中国語圏の人々は日本語を中間言語的に使用し、また、その人たちと会話する日本人は自らの語る日本語をフォリナートークとして語った。そのような形の中間言語が、最終的に、英語圏の人々と中国語圏の人々という第三者である外国人同士が会話で使用することにより、日本語としての間違いが修正されることなく固定化することによってピジンが形成された)ワタクシ テンポ ハイキン ナイ ナガイ トキ(私は長い間天保銭を拝見していない。I have not seen a tempo for a long time.)[6]