Pierre-Gilles de Gennes
ピエール=ジル・ドゥジェンヌ
ピエール=ジル・ド・ジェンヌ(2006)
生誕 (1932-10-24) 1932年10月24日
フランス パリ
死没2007年5月18日(2007-05-18)(74歳)
フランス オルセー
国籍 フランス
研究分野理論物理学
研究機関パリ市立工業物理化学高等専門大学(旧パリ市立物理学・化学工業大学院大学)
コレージュ・ド・フランス
パリ第11大学
出身校高等師範学校 (フランス)
パリ大学
指導教員チャールズ・キッテル
主な受賞歴ローレンツメダル(1990)
ウルフ賞物理学部門(1990)
ノーベル物理学賞(1991)
プロジェクト:人物伝
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ノーベル賞受賞者
受賞年:1991年
受賞部門:ノーベル物理学賞
受賞理由:単純な系の秩序現象を研究するために開発された理論的手法が、物質のより複雑な形態、特に液晶や高分子の研究にも一般化できることの発見。
ピエール=ジル・ドゥジェンヌ(Pierre-Gilles de Gennes、1932年10月24日 - 2007年5月18日)はフランスの物理学者。「単純な系の秩序現象を研究するために開発された手法が、より複雑な物質、特に液晶や高分子の研究にも一般化され得ることの発見」により、1991年にノーベル物理学賞を受賞した。 フランスのパリに生まれ、12歳まで自宅学習をする。後にエコール・ノルマル・シュペリウールで学ぶ。1955年に学校を出た後、フランス原子力庁(CEA)サクレー・センターの研究技師となる。A. Abragam と J. Friedelの助言の下で主に中性子散乱と磁性についての仕事をした。1957年にPh.D.を取得。 1959年にカリフォルニア大学バークレー校でチャールズ・キッテルの下に博士研究員として滞在する。その後27ヶ月フランス海軍に在籍。1961年にオルセーで助手になり、オルセーの超伝導グループを立ち上げる。1968年に研究を液晶に変える。 1971年にコレージュ・ド・フランスの教授となり、ポリマー物理においてSTRASCOL(ストラスブール、サクレー、コレージュ・ド・フランスの共同事業)に加わる。1980年から界面問題に興味を持つ。濡れ
生涯
1976年からEcole superieure de physique et de chimie industrielles de la ville de Paris
(ESPCI)の学長となり、2002年に引退した。1996年キュリー研究所 (パリ)に物理化学部門 "Physical Chemistry Curie" をジャック・プロと供に設立。亡くなるまでキュリー研究所 (パリ)に在籍。
晩年には粉粒体や、脳において想定した記憶物体を研究していた。
1994年の著書[1]で、コンピュータの予測を必ず正しいと信じてしまう人が多いことの例として、二酸化炭素による地球温暖化を取り上げて、当時における地球温暖化の科学の発達段階は未熟であるとした(地球温暖化に対する懐疑論参照)。
2007年にオルセーで死去した。
受賞歴
1968年 Holweck Prize
1987年 マテウチ・メダル
1988年 ハーヴェイ賞
1988年 ACS高分子化学賞
1990年 ローレンツメダル
1990年 ウルフ賞物理学部門
1991年 ノーベル物理学賞
1997年 F・A・コットン・メダル
他にも次のような賞を受賞している。フランス科学アカデミーのアンペール賞。フランス国立科学研究センター(CNRS)から金メダル。アメリカ物理学会とアメリカ化学会のポリマー賞。王立協会の外国人会員[2]。
著書
Superconductivity of Metals and Alloys
W. A. Benjamin, Inc.,New York, 1966年1月.「金属および合金の超伝導」