ピエール=ジョセフ・ペルティエ(Pierre-Joseph Pelletier、1788年3月22日 - 1842年7月20日)は、フランスの化学者、薬学者である。薬用植物から多くのアルカロイドの抽出を行った。 パリに生まれた。父親も化学者であったが36歳で早逝した。パリで薬学を学び、1815年からパリの薬学高等学院(Ecole Superieure de Pharmacie)の薬学者のピエール=ジャン・ロビケの助手として働き、1825年からロビケの後をついで教授となり、1832年からは校長を務めた。1826年から薬学高等学院に加わったジョゼフ・ビヤンネメ・カヴェントゥとともに働いた。長い間、経験的に使われたきた生薬の有効成分を化学的に単離することに功績があった。ペルティエが単離したアルカロイドには以下のようなものがある[1]。1817年-マジャンディ(Francois Magendiei)とともに吐根からエメチン1818年-カヴェントゥ(Joseph Bienaime Caventou)とともに聖イグナチウス豆の種子からストリキニーネ1819年-カヴェントゥとともに聖イグナチウス豆の種子からプルシン
生涯
1827年にキナ皮の有効成分の抽出の功績によりMontyon prizeを受賞した。1832年にパリのEcole de pharmacieの教授となり、非常勤の校長になった。Conseil de salubriteの委員に選ばれ、多くの名誉職に選ばれた。1840年に科学アカデミーの会員に選ばれた。タンレ(Charles Joseph Tanret)が発見した天然アルカイド、ペレチエリン(pelletierine)などに献名されている。
参考文献^ 『国際薬学史』山川浩司(著)南江堂(2000年)
^ カフェインについては1820年頃ドイツのルンゲがほぼ純物質まで精製したが、ペルティエらも独立して単離した。カフェインの名はペルティエらの命名が採用されている。
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