ピエール・グランゴワール(Pierre Gringore、フランス語発音: [pj?? ???????]、1475年頃 - 1538年)は、フランスの詩人・劇作家である[1]。ヴィクトル・ユーゴーの小説『ノートルダム・ド・パリ』(ノートルダムのせむし男)に実名で登場する。
生涯フランス・カーンにあるホテル・マルエルブのグランゴワール像
グランゴワールは、ノルマンディーのチュリー・アルクール(英語版)で1475年頃に生まれ、1538年に亡くなった。亡くなった月日と没地は不明である。出生時の名前はグランゴン(Gringon)だったが、自身で改名した。
最初に発表したのは、1499年の寓意詩"Le Chasteau de Labour"である。1506年から1512年まで、パリでアクター・マネージャー(英語版)および劇作家として活動した。この時期に有名な喜劇集団「コンフレリー・デ・アンファン・サンスーシ」(Confrerie des Enfants Sans Souci)のために書いた風刺劇が最もよく知られている。当時、フランスとローマ教皇庁の間の緊張が高まっており、最終的にイタリア戦争に発展したが、フランス国王ルイ12世は教皇庁をからかうために同劇団を雇い入れた。グランゴワールは、1510年の"La Chasse du cerf des cerfs"や三部作"Le Jeu du Prince des Sots et Mere Sotte"など、当時の教皇ユリウス2世を批判する作品もいくつか書いている。1514年には、パリの石工と大工のためにルイ9世についての神秘劇"Vie Monseigneur Sainct Loys par personnaiges"を執筆した。これをグランゴワールの代表作とする学者もいる。
1515年に即位したフランソワ1世が戯曲に対する厳しい規制を設けたため、グランゴワールは1518年にロレーヌ公国に移り住み、そこでカトリーヌ・ロジェ(Catherine Roger)と結婚した。
グランゴワールは敬虔なカトリック信者だったが、前述のように教皇庁を攻撃するような作品も書いている。晩年の1524年の"Blazon des heretiques"では、異端者やマルティン・ルターなどの宗教改革の指導者を攻撃している。 ヴィクトル・ユーゴーの小説『ノートルダム・ド・パリ』(ノートルダムのせむし男)やその映像化作品の大半において、「ピエール・グランゴワール」という名前の人物が重要なキャラクターとして登場する。このキャラクターは、実在のグランゴワールをモデルにして創作されたものであるが、実際のグランゴワールよりも『ノートルダム・ド・パリ』のグランゴワールの方がよく知られている[2]。 俳優作品
大衆文化において
ノートルダム・ド・パリ
演じた人物
ルイス・ディーン
レイモンド・ハットン(英語版)ノートルダムの傴僂男(1923年の映画)
エドモンド・オブライエンノートルダムの傴僂男(1939年の映画)
ロベール・イルシュ(英語版)ノートルダムのせむし男(1956年の映画)
ゲイリー・レイモンドThe Hunchback of Notre Dame(1966年のテレビドラマ)
クリストファー・ゲイブルThe Hunchback of Notre Dame(1976年の映画)
ジェリー・サンドクイスト(英語版)ノートルダムの鐘つき男/報われぬ愛の物語(英語版)(1982年の映画)
エドワード・アッタートン(英語版)ノートルダム(1997年の映画)
ブリュノ・ペルティエノートルダム・ド・パリ(1998年のミュージカル)
ディズニーによる1996年のアニメーション作品『ノートルダムの鐘』やそれを元にしたミュージカル作品、および2002年に発表された続編の『ノートルダムの鐘II』においては、グランゴワールの役どころは主要なキャラクターのフェビュス・ド・シャトーペール(英語版)(フィーバス)に統合されている。