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ピエール・クロソウスキー
Pierre Klossowski
誕生1905年8月9日
フランス共和国、パリ
死没 (2001-08-12) 2001年8月12日(96歳没)
フランス、パリ
職業小説家、画家、思想家
代表作『バフォメット』
デビュー作『わが隣人サド』
ウィキポータル 文学
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ピエール・クロソウスキー(クロソフスキー、Pierre Klossowski フランス語: [kl?s?fski] ⇒発音, 1905年8月9日 - 2001年8月12日)は、フランスの小説家、画家、思想家、翻訳者。 パリ生まれ。父母共に画家。 ポーランド貴族出身。1908年、後に画家となる実弟バルテュスが生まれる。1914年に第一次世界大戦を避け、一家そろってジュネーヴへ移住。このとき母は、詩人リルケと親しく交際する。クロソウスキーは、リルケの知己だった作家アンドレ・ジッドの秘書を務めながら勉学にいそしんだ。 1930年、リヨン大学で神学を学ぶ。1936年、ジョルジュ・バタイユ、ロジェ・カイヨワ、アレクサンドル・コジェーヴらの参加していた団体「コレージュ・ド・ソシオロジー」に参加。第二次大戦の終わりまで修道院生活を送るが、のちに放棄。 1950年、La Vocation suspendue で小説家としてデビュー。1953年、小説『ロベルトは今夜』を発表。1964年のウェルギリウス『アエネイス』の翻訳は、ラテン語逐語訳のため賛否両論となる。同年、ジル・ドゥルーズ主催のニーチェ会議にミシェル・フーコーやカール・レーヴィットらと共に出席して発表を行なう。1965年、『バフォメット』を発表。この小説はドゥルーズにより詳細に論評され、ピエール・ド・マンディアルグからはクロソウスキーの最高傑作と評される。1966年、ロベール・ブレッソン監督の映画『バルタザールどこへ行く
略歴
1972年、スリジー・ラ・サルでの討論会「ニーチェは、今日?」に出席。彼の他に、ドゥルーズ、ジャン・フランソワ・リオタール、ジャック・デリダ、ラクー=ラバルト、ジャン=リュック・ナンシーらが出席した。討論会のテーマ「ニーチェは、今日?」は、クロソウスキーの小説『ロベルトは今夜』にちなんだものである。これ以降、絵画を中心に活動するようになる。ジッドに『贋金づくり』の挿絵を頼まれたが、その独特の画風ゆえに、ジッドに断られた。
マルキ・ド・サドやニーチェの研究家として知られている。その思想には、評論『ニーチェと悪循環』などのように独特の「シミュラクル」の概念があり、この概念はドゥルーズに影響を与えた。翻訳家としては、サドやベンヤミン、ニーチェ、ウィトゲンシュタインらの著作を手がけた。