ピエトロ・パロリン
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バチカン政治家ピエトロ・パロリンPietro Parolin
ピエトロ・パロリン枢機卿
生年月日 (1955-01-17) 1955年1月17日(69歳)
出生地 イタリア ヴェネト州スキアヴォーン
国務省長官(国務長官)
在任期間2013年8月31日 - 在任中
ローマ教皇フランシスコ
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ピエトロ・パロリン
聖職
司祭叙階1980年
司教叙階2009年
枢機卿任命2014年
紋章
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ピエトロ・パロリン(Pietro Parolin、1955年1月17日 - )はイタリア出身のカトリック司祭枢機卿
経歴

1955年北イタリアヴェネト州スキアヴォーン生まれ。自身が10歳の時に、父親は交通事故で他界した。1980年司祭叙階。入学先のグレゴリアン大学教会法を学んだ。卒業後の1988年教皇庁外交官に任命された。

1986年から1989年まではナイジェリア1989年から1992年まではメキシコに外交官として駐在。特にメキシコとバチカンの外交関係を締結させた功績として、メキシコ政府から最高栄誉の勲章「アステカ・イーグル勲章」が授与された[1]2002年から2009年は国務次官に就任。在任中はベトナムとの信教の自由外交に関する会談を行った[2]

2013年8月31日、教皇フランシスコの任命に伴い、国務省長官(国務長官)に就任した。翌年にはバチカンを訪れたベネズエラニコラス・マドゥロ大統領は彼に、国内危機の打開策を求めた上で野党の協議に調停するよう、要請された[3]2014年には教皇フランシスコより枢機卿に任命される[4]

2018年9月に配信されたバチカン放送にて、教皇庁と中華人民共和国間で署名された、司教任命をめぐる暫定合意について述べた。バチカンと中国は一時的な和解を果たしたが、中国当局はコロナ対策を理由にカトリック教徒の弾圧をしている[5]
脚注^ パロリン氏、栄誉勲章を授与される - niedziela.com
^ 信教の自由、バチカンとベトナムの外交関係 - asiannews
^ ニコラス・マドゥロ氏、パロリン氏に野党会談の調停を求める - reuters
^ パロリン氏、次の枢機卿へ - バチカン政府サイト
^ コロナ対策の名を借りて、信教の自由後退

外部リンク.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキクォートにピエトロ・パロリンに関する引用句集があります。

ピエトロ・パロリン国務長官 - バチカン政府公式サイト

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