ピアノ四重奏曲_(ショーソン)
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『ピアノ四重奏曲イ長調』(ピアノよんじゅうそうきょくイちょうちょう、フランス語: Quatuor pour piano et cordes de Chausson、op.30)はエルネスト・ショーソンが作曲したピアノと弦楽三重奏のための『ピアノ四重奏曲イ長調』で、1897年に作曲され1897年10月6日ベルギーブリュッセルにて、曲を献呈されたピアニストのオギュスト・ピレのピアノ演奏によって初演された。フランス初演は1898年4月2日フランス国民音楽協会にて初演された。
概要

ヴァイオリン、ピアノと弦楽四重奏のための協奏曲ニ長調』op.21(『コンセール』)がロマン派的な性格を持っているのとは対照的に、『ピアノ四重奏曲イ長調』は明快で直截的な書法による古典派的な性格、つまり1年前にピアノのための『いくつかの舞曲』で始まったアプローチから続く、堅固な全体的な音楽形式を備えている。本作はセザール・フランクから受継いだ循環形式をとっているが、これは既に『ピアノ三重奏曲ト短調(フランス語版)』と『コンセール』で既に見られるものである。アントワーヌ・ゴレア(フランス語版)によれば、「興味深いことに、ショーソンはフランクの弟子の中で最もフランキストでありながら、また最もフランクの規範から開放されてもいた」[1]

ポール・デュカスによれば「ショーソンは自らの個性により、彼の作品ごとの段階において表出している個性の開拓を徐々に進めて行けば、彼の揺るぎない独創性は保証されていたであろう。その独創性は彼の穏やかな人生から来る平穏と彼を彼が望んでいた幸福で壮大なスペクタクルの世界から引き離した痛ましさとの間のバランスのとれた調和によるものであった」[2]。さらにデュカスは「ショーソンにおいては、初期の作品では対立していた平穏と痛ましさと言う二つの主要な個性が、最近の作品では相互に浸透し合い、ある意味では、彼の美しい『ピアノ四重奏曲』のように、次々と変容していく傾向にある。私の意見では、本作は彼の最も偉大で最も完成された作品のひとつである」と付け加えている[2]

ジャン・ガロワは「ピアノがショーソンの室内楽作品に確かなハーモニーを表現することで、ピアノが極めて個人的な語法によって活気づけられ、ほとんどオーケストラに近い力強さが加わる」と考察している[3]
作曲の経緯

1897年7月、ショーソンは5月30日以来妻と子供たちがいるヴェイリエに戻った。『アルテュス王』を上演することを目的として、1 カ月間、エクス・ラ・シャペル(Aix-la-Chapelle、現アーヘン)、カッセルライプチッヒプラハを旅行した。プラハでは肯定的な反応しか得られなかったにもかかわらず、アンリ・ルロル(フランス語版)はこのオペラを上演しないように忠告した[4]。ショーソンはいくぶん幻滅したが、彼はすぐに 2 つの新しい作品、作品 39 が付けられるチェロとピアノのための小品、ピアノと弦楽のための四重奏曲の作曲を始めた。モーツァルトの 2 つの輝かしい作品以来、この室内楽編成は19世紀初頭にはあまり研究されていなかったが、特にフォーレサン=サーンスルクーヴァンサン・ダンディなどによって再び作曲され始めた。ショーソンの作品は、堅固な構成に支えられたダイナミズムとエネルギーによって際立っている[5]


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