ピアノソナタ第23番_(ベートーヴェン)
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ピアノソナタ第23番(ピアノソナタだいにじゅうさんばん)ヘ短調 作品57は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが作曲したピアノソナタである。全32曲あるベートーヴェンのピアノソナタの中で『熱情(アパショナータ)』という通称で有名で、第21番『ヴァルトシュタイン』第26番『告別』とともに、ベートーヴェンの作曲人生の中期における3つの傑作ピアノソナタのひとつである。
概要

ベートーヴェンの創作期は実り多い中期に入っていた[1]交響曲では第3番(英雄)ヴァイオリンソナタでは第9番(クロイツェル)、ピアノソナタでは第21番(ヴァルトシュタイン)といった傑作が次々生み出され、ベートーヴェンの作風は大きな転換点を迎えていた[2]。一方、彼の難聴は悪化の一途をたどっており、その絶望から1802年にはついにハイリゲンシュタットの遺書を書くに至っている[3]

そうした中、このピアノソナタは歌劇フィデリオ』に並行する形で作曲された。『フィデリオ』のスケッチに混ざる形でこの作品の楽想が書きつけられており、作曲の開始は1804年であったことがわかる[4]1805年4月18日に出版社へ宛てた書簡には曲の完成の目途について語られており、同年夏ごろの『フィデリオ』完成に近い時期に全曲が出来上がったものと考えられる。アントン・シンドラー1806年の夏にマルトンヴァーシャール(ハンガリー語版)で全曲が一気に書き上げられたとしており、またフェルディナント・リース1803年デープリングでベートーヴェンがこの曲を作曲している場に居合わせたと主張しているが、いずれの証言にも疑問の余地が残る[4]。作曲者は同じ頃に交響曲第5番(運命)にも取り掛かっており、この交響曲の4つの音からなる有名な「運命の動機」はこのソナタの第1楽章でも重要な役割を果たす。

楽譜は1807年2月にウィーンの美術工芸社から出版され[4]フランツ・フォン・ブルンスヴィック伯爵に献呈された[5][注 1]。このときの表紙にはピアノソナタ第54番 作品57という番号が付されたが[6]、研究者らの努力にもかかわらずこの番号が何を根拠に定められたのかは明らかになっていない[7][注 2]。なお、『熱情』という副題は1838年ハンブルクの出版商クランツがピアノ連弾用の編曲版の出版に際してつけたものであるが[3]、これが通称となり今日までそのまま通用している。

ベートーヴェンは当時この曲の草稿を携えて移動することが多く、そうした中で生まれた1806年秋のエピソードとして次の話が伝えられている。カール・アロイス・フォン・リヒノフスキー侯爵の城からウィーンに帰る途中、ベートーヴェンは突如雨に降られ、持っていたこの曲の原稿を濡らしてしまった。その原稿を優れたピアニストであったマリー・ビゴーに見せたところ、彼女は初見で完全に弾いてしまったのである。ベートーヴェンは大変喜び、出版後の原稿を彼女に贈った[9]。この自筆楽譜は現在パリ音楽院に保存されている。

曲は燃えるような激しい感情を寸分の隙もない音楽的構成の中に見事に表出しており[5]、ベートーヴェンの最高傑作のひとつに数えられる[10]カール・チェルニーはこの作品について「強大かつ巨大な計画をこの上なく完璧に遂行したもの」と表現した[3]。ピアニストらは劇的な情熱が現れる中にも正確なリズムを維持するよう説いており[3][10]、演奏には非常に高度な技術が要求される[5]。作曲者自身もこの曲の出来に満足するとともに内容を気に入っていたらしく[3][11]、当時は他のジャンルにおいて引き続き旺盛な創作をみせたにもかかわらずピアノソナタには4年のあいだ手をつけなかった[12]石桁真礼生は、本曲の各楽章を「苦悶・静かな反省・勝利の歌」と評している[13]。なお、ベートーヴェンは1803年にエラール製のピアノを贈られており、この楽器によって拡大された音域が曲中で存分に活用されている[3]


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