ポーランドの歴史
先史時代
ピャスト朝(ポーランド語:Dynastia Piastow)は、ポーランドの王朝。960年頃から1370年まで続いた。王朝としてあるが、初期においてはポーランド的な王家ではなく、グニェズノを主体とする地方侯家であった。1000年にボレスワフ1世が神聖ローマ皇帝オットー3世から戴冠および大司教座設置を許可され、その後1025年にローマ教皇ヨハネス19世の許可が下ったことをもってポーランド国家の始まりと見なされる。ここに名前を載せている者で、公には即位したが王位に就かなかった者もいる。
目次
1 歴代国王
1.1 分裂時代
1.2 チェコのプシェミスル朝支配
1.3 ピャスト家の再統一
2 関連項目
ボレスワフ3世の遺言状により、国は各相続者に分割され、兄弟の最年長の者がクラクフ地方を治めると共に族長となった。この年長者相続制度は後に立ち行かなくなり破棄され、カジミェシュ2世が選挙によってクラクフ侯に選ばれた。
歴代国王
ミェシュコ1世(Mieszko I、960年頃 - 992年) (ポラニェ族長)
ボレスワフ1世(Boles?aw I Chrobry、992年 - 1025年) (ポーランド王:1025年)
ミェシュコ2世(Mieszko II Lambert、1025年 - 1031年) (王位:1025年 - 1031年)
ベスプリム(Bezprym、1031年)
ミェシュコ2世(Mieszko II Lambert、1032年 - 1034年) (復位、侯)
カジミェシュ1世(Kazimierz I Odnowiciel、1034年(?) - 1058年)
ボレスワフ2世(Boles?aw II ?mia?y、1058年 - 1079年) (王位:1076年 - 1079年)
ヴワディスワフ1世ヘルマン(W?adys?aw I Herman、1079年 - 1102年)
ズビクニェフ (Zbigniew、1102年 - 1107年)
ボレスワフ3世 (Boles?aw III Krzywousty、1102年 - 1138年)
分裂時代
ヴワディスワフ2世 (W?adys?aw II Wygnaniec、1138年 - 1146年) (クラクフ侯)
ボレスワフ4世 (Boles?aw IV K?dzierzawy、1146年 - 1173年) (クラクフ侯)
ミェシュコ3世 (Mieszko III Stary、1173年 - 1177年) (クラクフ侯)
カジミェシュ2世 (Kazimierz II Sprawiedliwy、1177年 - 1194年) (クラクフ侯)
レシェク1世 (Leszek Bia?y、1194年 - 1202年) (クラクフ侯、白公)
ヴワディスワフ3世 (W?adys?aw III Laskonogi、1202年)
レシェク1世 (Leszek Bia?y、1202年 - 1210年) (クラクフ侯)
ミェシュコ4世 (Mieszko IV Pl?tonogi、1210年 - 1211年)