ビール祭り
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座標: .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯48度7分53秒 東経11度32分57秒 / 北緯48.13139度 東経11.54917度 / 48.13139; 11.54917 2003年のオクトーバーフェスト(観覧車から撮影)

オクトーバーフェスト(:Oktoberfest)は、ドイツバイエルン州の州都ミュンヘンで開催される世界最大規模の祭りである。1810年以来ミュンヘン市内中心部のテレージエンヴィーゼ(Theresienwiese テレーゼの緑地という意)と呼ばれる広大な場所で9月半ばから10月上旬に開催され、毎年約600万人が訪れている。ヴィーゼ(緑地)のバイエルン語、ヴィーズン(Wiesn)という別称も頻繁に使われる。オクトーバーフェストに提供される特別のビールはフェストビアやヴィーゼンビア(Wiesnbier、緑地ビールの意)とも呼ばれている。5.8?6.4%のアルコール度で醸造されている。目次

1 会場

2 催し物

3 歴史

3.1 第1回のオクトーバーフェスト

3.2 国民的祝祭への発展

3.2.1 19世紀

3.2.2 20世紀


3.3 21世紀


4 事実と統計数字

4.1 規模

4.2 データ

4.3 オクトーバーフェストの統計

4.4 ごみとトイレ


5 世界各国のオクトーバーフェスト

5.1 日本


6 脚注

7 関連項目

8 外部リンク

会場 パウラナーのビアツェルト内部(2014年)

開催期間は10月の第1日曜日を最終日とする16日間。ただし1990年10月3日ドイツ再統一以後、第1日曜日が1日か2日となる場合には祝日であるドイツ統一の日の3日まで続けることとなった。そのため10月1日が日曜日の年は開催期間が18日と最長になる。会場のテレージエンヴィーゼは42ヘクタール東京ドーム約9個分)の広大な敷地[1]で、毎年数週間かけて固定式巨大テントや移動式遊園地を設置し、行事のあとは撤去する。

入場は無料で、飲食物を買う時や遊具に乗る時にその都度支払う。観覧車などの遊園地アトラクション、お化け屋敷や食べ物屋など日本の祭りの屋台に相当する店が揃う[2]。しかし祭りの中心はビールや食べ物を出す仮設レストラン ビールテント(Bierzelt ビアツェルト)である。2007年現在、大手ビール会社や個人が運営する巨大ビールテント(Festhalle フェストハレ)が14棟、その他に小規模なビールテント(Wiesnzelt ヴィーズンツェルト)が並ぶ。平日午前10時、週末と祝日は午前9時に開き、全日午後11時30分に閉場する。会場の混雑と飲酒運転を避けるため、駐車場は少ししか設けられていない。その代わり、ミュンヘン地下鉄(Uバーン)の複数の路線が会場近くに駅を設けているほか、ミュンヘン都市圏鉄道(Sバーン)も利用可能で、会場には複数のタクシー乗り場もあり[3]、公共交通機関が充実している。
催し物 パレードを進む地元ミュンヘンの現存する最古のブルワリー、アウグスティーナ・ブロイ(Augustiner Brau)の馬車 2日目のパレードを進むミュンヘン市民たち

オクトーバーフェスト初日には、まずミュンヘン市長とミュンヘンの市章ミュンヒナー・キンドル(Munchner Kindl)に扮して黒いフード付きマントを着た女性が馬に乗って先頭を行き、ビヤを積んだ地元ブルワリーの馬車が続くフェスティバル運営者の顔見世パレードがある。正午にミュンヘン市長が最初のビヤ樽の栓を開けて"O'zapft is!"( バイエルン方言で「酒が出たよ!」の意)と宣言することで正式にオクトーバーフェストが始まる。3月に製造して夏の間寝かせておいた[1]味が濃く、アルコール分の高いオクトーバーフェスト用特別ビール(ヴィーズン・ビア)が、マス(Mas)と呼ばれる容量1リットルのビールジョッキに注がれる。最初のマスはバイエルン州首相に渡される。地元ミュンヘンのブルワリー(ビール醸造会社)だけが、オクトーバーフェスト用ビールをビールテント内で提供することを許可されている。

2日目にはバイエルン出身の8,000人が伝統的民族衣装を着て、マクシミリアン通りをミュンヘンの中心街を通ってオクトーバーフェストまで歩いていくパレードがある。

客は飲むだけでなく大いに食べる。食事は主にソーセージ、ヘンドゥル(鶏肉の丸焼き)、シュペッツレ(チーズや小麦粉で作った麺)、ザワークラウトといったボリュームのある伝統食や、バイエルン名物の雄牛のしっぽなどである。



歴史 2006年の開会式の際のテレージエン緑地
第1回のオクトーバーフェスト

オクトーバーフェストは、以前はバイエルン州では、決して珍しいものではなかった。これは新しいビールの醸造シーズンの幕開けを祝う祭りで、どこでも開かれているようなものだったためである。現在でもエアランゲンなどには、ミュンヘンのオクトーバーフェストよりも歴史の古いビール祭りが例年6月頃に開かれている。

今日有名になった「ミュンヘンのオクトーバーフェスト」は、ドイツの他の各地の民族的な祭りや射撃大会を兼ねた祭りに比べると比較的新しい祭りといってもいいものである。バイエルン王国王太子ルートヴィヒテレーゼ・フォン・ザクセン=ヒルトブルクハウゼン結婚式が、1810年10月に都市の城壁の前の緑地で行われた際に、大規模な競馬が催された。それ以来この緑地が、テレーゼ緑地と呼ばれるようになり、そこから口語では「緑地」(ヴィーゼ Wiese。ミュンヘン訛りではヴィーズン Wiesn)は、ほとんどオクトーバーフェストと同義に取られるようになった。第1回オクトーバーフェストとされる日が複数あるのは、結婚式が10月12日で、競馬が17日であったためである。

王太子ルートヴィヒは古代ギリシアに関心が深く、臣下に古代オリンピックの競技会のようなスタイルでの祭りを開きたいと提案した。この提案が熱狂的な歓迎を受け、まず主としてスポーツ大会のような形でこの祭りが挙行された。これが今日、近代オリンピックの原型といわれるものである。バイエルンの王宮は市民を喜ばせるために、翌年も同じ時期に競馬を繰り返し開催すると発表、これによってオクトーバーフェストの伝統が始まったのである。
国民的祝祭への発展
19世紀

1813年にはすでに祭りは、バイエルン王国ナポレオン戦争に巻き込まれたため中止の憂き目にあっている。その後、緑地は年々拡大していく。競馬場に、木登り場所、九柱戯場、ブランコが増え、陶器、銀器、そして1816年に装飾品などがもらえる福引場がオープンして、特に都市の貧困層を惹きつけた。1819年にはミュンヘンの町の市当局が祭りの開催を引き受けた。以来、オクトーバーフェストは毎年開催されるようになった。 1835年のパレード

1835年にはバイエルン王となったルートヴィヒ1世とテレーゼの結婚25年を記念して、初めてパレードが行われた。1850年以降はパレードが毎年恒例のイベントとなり、オクトーバーフェストのメイン行事の一つとなっている。 バヴァリア像―バイエルン王太子の婚礼を祝う記念碑

1850年に祭りの開催される緑地の端に、20メートルほどの高さの女性像バヴァリアが建てられ、祭りを見守るようになった。バイエルンの地の守護者とされるバヴァリアの銅像である。


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