ビートたけしのスポーツ大将
ジャンルスポーツ番組 / バラエティ番組
企画北野武、皇達也
構成笠博勝
演出青山幸光(第2期まで)
松本能幸(第3期?、P兼任)
出演者ビートたけし
ナインティナイン
(岡村隆史・矢部浩之)
たけし軍団
志生野温夫 ほか
アナウンサー清水俊輔
(テレビ朝日アナウンサー)
ほか
製作
製作総指揮藤井智久(第3期?、統括)
プロデューサー湧口義輝(第2期まで)
高橋伸之(第3期?)
寺田伸也(第3期?、GP)
制作テレビ朝日
放送
音声形式第1期・第2期:モノラル放送
復活SP・第3期:ステレオ放送
放送国・地域 日本
番組公式ホームページ
『ビートたけしのスポーツ大将』(ビートたけしのスポーツたいしょう)はテレビ朝日制作のスポーツバラエティ番組で、ビートたけしの冠番組でもある。
第1期は1985年4月16日から1987年3月24日まで、第2期は1988年2月10日から1990年2月27日まで、それぞれ放送され、第3期は2017年11月12日から2018年9月16日まで放送された。 ビートたけしとその弟子軍団であるたけし軍団&たけし軍団セピアの面々が、野球、陸上競技、サッカーなど様々なスポーツに挑戦、番組で募集した一般視聴者チームや芸能人チームなどと対戦したり、スタジオでの実技挑戦などに取り組んでいた[1]。プロ野球シーズンオフになるとプロ野球選手も草野球対決などで登場することがあった。 1986年12月のフライデー襲撃事件でたけしが芸能活動を自粛した事に伴い、タイトルから「ビートたけしの」のクレジットを削除した「スポーツ大将」[注 1]として放映された。留守を預かったのはフリーアナウンサーの志生野温夫と事件に不参加のたけし軍団メンバー、つまみ枝豆、井手らっきょ、ラッシャー板前であった[注 2]。たけしが復帰しないまま1987年3月に第1期が終了。最終回では3人から「今回で一時休み」と伝えられ「我々たけし軍団も、もっともっとトレーニングを積んで皆さんからの挑戦をお待ちしています」と復活を示唆するメッセージを残し、最後は野球でのたけしと思しき背番号30の後ろ姿で締めくくった。たけしが芸能活動を再開するのにあわせて、約1年後の1988年2月10日から第2期を再開し、1990年まで放映された。 1985年の大晦日にはこの番組の延長線的なスペシャル番組『ビートたけしの元祖マラソン野球中継』が生放送され、1986年と1987年大晦日にも放送された。同特番では神宮球場での草野球チームとプロ野球チームの試合を放送しながら、並行して別会場で行うスキーや水泳などの競技を合間に生中継する番組だった。ただし、1986年はフライデー襲撃事件を受けてたけしと軍団メンバーはチームから外れてタイトルも『大晦日恒例!元祖マラソン野球生中継』に改題されている。 なお、第2期終了後、『水曜スーパーキャスト』の枠内で『ビートたけしのスポーツのススメ』というタイトルで特番を数回放送している。この特番ではたけしと軍団メンバーが芸能人および親交のある制作会社スタッフや自身のマネージャーらとの混成チームと対決する企画に絞られた。 2015年3月22日(日曜日)18:57 - 23:10(JST)に、1990年2月の第2期終了以来の25年ぶりに当番組の復活特番『ビートたけしのスポーツ大将2015?ナインティナインも参戦SP?』を放送(ただし、『日曜エンタ』枠外での放送)[2]。
番組概要
第1期終了・第2期開始
第2期終了とその後
復活版
Size:153 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef