ビーグル38
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ビーグル38
メンバー能勢ヒロシ
加藤統士
中屋卓
<元メンバー>
吉本英和
結成年
2008年(現メンバーとして)
解散年2013年
事務所松竹芸能
活動時期1996年 - 2013年10月4日
旧コンビ名うなぎ(2005年12月 - 2008年8月
旧トリオ名せんたくばさみ(1996年 - 2005年12月)
現在の活動状況解散(能勢はピン、加藤と中屋は引退)
芸種コント漫才
ネタ作成者

中屋卓(吉本脱退前は吉本がネタ作成担当)
過去の代表番組めっさGO!
なにわ最強パチラジオ!!
同期ライセンス
バッドボーイズ
パックンマックン
インスタントジョンソンなど
受賞歴
2001年 第16回NHK新人演芸大賞 演芸部門大賞
2002年 第2回新人お笑い尼崎大賞 優秀賞
2002年 第23回ABCお笑い新人グランプリ 新人賞
2002年 第31回上方お笑い大賞 新人賞
2003年 第24回ABCお笑い新人グランプリ 優秀新人賞
2004年 第39回上方漫才大賞 優秀新人賞
2009年 第12回みうらじゅん賞
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ビーグル38(ビーグルさんじゅうはち)は、かつて松竹芸能で活動していたお笑いトリオ

旧トリオ時代の名前は「せんたくばさみ」。コンビ時代の名前は「うなぎ」。2013年10月4日解散。
メンバー

能勢 ヒロシ(本名:能勢浩(のせ ひろし)、 (1973-08-09)
1973年8月9日(50歳) - )
高知県出身。高知県立高知南高等学校卒業。ツッコミ担当。血液型O型。R-1ぐらんぷりに出場した際には喜味こいしに扮した「リトルこいし」というキャラクターで登場し、2008年の大会では準決勝に進出。芸人の傍ら、蕎麦ダイニング店の店長も務めている。解散後は事務所に残り、「ビーグル38能勢」名義でピン芸人として活動。第2回四万十映画祭で上映される『あらうんど四万十 ―カールニカーラン―』の一條安二郎役で出演。2016年、高知県観光特使に就任[1]岡本真夜とは高校の同級生で交流がある。

加藤 統士(かとう もとし、 (1973-08-27) 1973年8月27日(50歳) - )
高知県出身。ボケ担当。血液型B型。解散と同時に芸人を引退した。

中屋 卓(なかや すぐる、 (1981-08-28) 1981年8月28日(42歳) - )
大阪府出身。血液型O型。2008年8月加入。加入後はトリオのネタ作成を担当。解散後は事務所を退社しフリーでピン芸人として活動していたが、現在は芸人を引退し大阪で会社員を務めている。
元メンバー

吉本 英和(よしもと ひでかず、 (1974-01-26)
1974年1月26日(50歳) - )
高知県出身。ボケ担当。血液型O型。トリオ「せんたくばさみ」時代のメンバー。2005年12月脱退。脱退前はネタ作成を担当していた。その後、日本プロ麻雀協会所属のプロ雀士として活動し、秋葉原にある麻雀店の店長を務めていた。現在は、日本プロ麻雀協会は退会している。
来歴・逸話

芸人を目指していた能勢が、お笑いに全く興味の無かった加藤と吉本を誘い、
1996年にトリオ「せんたくばさみ」を結成。名前の由来は、「芸能界の激しい逆風に吹き飛ばされないように」という意味が込められているが、これは後付けである。

能勢が島から大阪へ旅立つ時、能勢の乗る船が出航する寸前に、見送りに来ていた吉本がその身一つで飛び乗り、そのまま共に大阪へ行った。また、能勢は共に上京しようと加藤を誘ったが、「その日はバイトがあるから」と断られた。

「せんたくばさみ」時代、3人それぞれ、髪の毛の色を変えていたことがある(能勢=赤、吉本=青、加藤=黄色)。

2005年12月6日、吉本が脱退。残った2人はコンビ名を「うなぎ」に改称(命名はよゐこ有野晋哉。テレビで共演した際、能勢に好物を聞いたところ「うなぎ」と言ったので、そのまま命名)。

2008年8月に元「トランスポーター」の中屋が加入し、現在の「ビーグル38」に改名。同時に拠点を東京に移した。同月に出場したキングオブコントが、3人での初舞台だった。

2009年11月、加藤が肺結核に罹患した事が発表された[2]。その後入院して治療を受けていたが、2010年2月に退院し、活動を再開している[3]

ビーグル38の名前の由来は、能勢が好きということもあって名前を考えるために犬の図鑑を買い、キャバリアビーグルビション・フリーゼの3つを候補に挙げ、加藤がスヌーピーにそっくりということと、短く覚えてもらいやすいということでビーグルになった。しかし、ビーグルで検索すると犬ばかりが出てくるので何か付けようということで、3人とも8月生まれで、38歳までには売れたいということでビーグル38になった[4]

能勢の性格は大変素直らしく、「ドッキリ」にかかりやすい。ますだおかだ角パァ!では「おばさん女社長」に騙され、キスをしてしまった。

能勢がゲットした芸能人の連絡先は芸人のいとうあさこと歌手の岡本真夜の二人。(岡本真夜とは同級生であり、東京にきて交流が復活した元クラスメイト。)

能勢には一回り年下の彼女がいるが、「頼りない」「別れたい」と言われているらしい。(天才てれびくんMAX内にて)

能勢と加藤の2人ばかりテレビやライブに出演することが増え、中屋が行っても何もせずに帰らされることも多くなったことでトリオ関係が悪化し、とあるネタ合わせの最中に三人で話し合っていた時、加藤の口から「もう惰性で芸人をやっている」と言う発言を聞き、トリオ内で不憫に扱われながらもネタ作成を担当していた中屋がその発言により募り募った今までの不満が込み上げ「じゃあもう辞めましょうか」となり、解散へと向かうことになった。

2013年10月4日に解散することが、事務所から発表された[5]。能勢、中屋はそれぞれ松竹芸能所属のピン芸人として活動し、その後中屋はフリーとして活動したのちに引退、加藤はそのまま芸人を引退することとなった。

芸風

主にコントだが、トリオ漫才をすることもある。また「せんたくばさみ」時代のネタをすることもある。

「うなぎ」時代は漫才を中心に加藤がベタなボケをすることが多く、能勢に「そのボケ古ないか?」と突っ込まれることもあった。

サバイバルズ

能勢と加藤の二人がベテラン漫才コンビ「サバイバルズ」に扮したネタを中心に、二人でテレビ番組に出演することが多かった。
名前はそれぞれ、能勢は「師匠」、加藤は「井上さん」。ネタのパターンとしては能勢が
喜味こいしの口調を真似しネタをふり、加藤が「うん、うん」とうなずく。客(視聴者)は全く聞き取れない加藤のボケを、能勢の「なんちゅう事を言うんや」「それは今言わなあかんことか」「それは君エアロスミスやないか」「鳩山由紀夫とはそういう男や」等のツッコミから想像するもの。

トリオでこのネタをする場合は中屋扮するネタ番組のプロデューサーにサバイバルズがネタ見せにくるパターンがある。

元々は「うなぎ」時代にやっていたネタであり、能勢扮する喜味こいしに新人芸人の加藤が弟子入りとコンビ結成を持ちかけるものである。このネタが出来上がったきっかけは、ピンネタのライブに出演し、それぞれピン芸を披露する予定だったが、急に「コンビでやってくれ」と言われ、ピン芸をやるつもりで既に喜味こいしとおじいちゃんの格好になっていたため、着替え直す時間も無く、結局そのままの格好でコンビでネタをやったことだった。本人たちいわく「ゆるーい感覚で始めた」ネタだったという[6]

2011年1月に喜味こいしが他界した際、能勢は葬儀に出席している。

芸歴

入社入門:1997年

2001年「第16回
NHK新人演芸大賞」演芸部門・大賞

2002年「第2回新人お笑い尼崎大賞」優秀賞

2002年「第23回ABCお笑い新人グランプリ」新人賞

この年の最優秀新人賞はレギュラー、優秀新人賞はブラックマヨネーズ麒麟


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