ビン・スカリー
(ヴィン・スカリー)
プロフィール
本名Vincent Edward Scully
出身地 アメリカ合衆国 ニューヨーク市ブロンクス区
国籍 アメリカ合衆国
生年月日1927年11月29日
職歴ブルックリン・ドジャース
→ロサンゼルス・ドジャース球団専属アナウンサー(1950年 - )
活動期間1950年 -
ジャンルスポーツ
出演番組・活動
出演中専属プロ野球球団の試合中継
備考
1982年、フォード・C・フリック賞受賞。アナウンサー: テンプレート - カテゴリ
ビン・スカリー[注 1][注 2]/ヴィン・スカリー[注 3](Vin Scully[注 1]、1927年[注 1] - )は、アメリカ合衆国のアナウンサー[注 1]。ニューヨーク市ブロンクス区生まれ[注 1]。 1950年から[注 1][2][6]、メジャーリーグベースボール(MLB)に加盟するプロ野球球団、ブルックリン・ドジャース(1958年より、ロサンゼルス・ドジャース)の専属実況アナウンサーとして活動[注 1][4][2]。 1953年に25歳でワールドシリーズの実況を担当。以来、25回の実況を担当[2]。また、オールスターゲームも12回[2]を担当。選手個人による大記録の達成シーンについても、1956年のワールドシリーズでのドン・ラーセンの完全試合を始め、サンディー・コーファックスの完全試合[2]、ハンク・アーロンの通算715号本塁打[2]、野茂英雄のノーヒットノーラン(1996年)[2][3]で実況を担当。 決まり文句や絶叫に頼らず[注 1]、大記録達成時には歓声や拍手を聴かせるため沈黙に徹する手法[注 1]が特徴で、「20世紀で最も偉大なスポーツ・アナウンサー」[注 1]「ドジャースの声」[5][3]「ロサンゼルスの声」[2]といわれる。 1982年、アメリカ野球殿堂よりフォード・C・フリック賞が授与された。[3]。 2016年限りで引退を公表している。これに先立ちロサンゼルス市議会は同年1月、ドジャー・スタジアム近くの「エリシアン・パーク通り」を「ビン・スカリー通り」に改名する決議を行なった[7]。 9月25日のコロラド・ロッキーズ対ドジャース戦が本拠地での最後の実況となり、翌週の10月2日に行われたドジャース対サンフランシスコ・ジャイアンツ(AT&Tパーク)を最後に、67年にわたる実況生活にピリオドを打った。 11月16日、大統領自由勲章を受章[8]。 [ヘルプ]
目次
1 人物
2 脚注
2.1 注釈
2.2 出典
3 関連項目
4 外部リンク
人物
脚注
注釈^ a b c d e f g h i j 日外アソシエーツ編『現代外国人名録2012』(2012年、日外アソシエーツ発行。コード:ISBN 978-4816923524)より、「ビン スカリー」の項目を参照[1]。
^ 参考…「ビン・スカリー」と表記する資料:[2][3]
^ 参考…「ヴィン・スカリー」と表記する資料:[4][5][6]
出典^ ビン スカリー とは