ビル・ウォーカー_(政治家)
[Wikipedia|▼Menu]

閣下
ビル・ウォーカー


第13代 アラスカ州知事
任期
2014年12月1日 ? 2018年12月3日
副知事バイロン・マロット
前任者ショーン・パーネル
後任者マイク・ダンリービー
バルディーズ市長
任期
1979年 ? 1980年
前任者マック・マクドナルド
後任者スティーブン・マカルパイン[1]

個人情報
生誕 (1951-04-16) 1951年4月16日(73歳)
アメリカ合衆国アラスカ準州フェアバンクス
政党無所属 (2014年 - 現在)
協力政党共和党 (2014年以前)
配偶者ドナ・ウォーカー
子供4人
住居知事公邸
出身校ルイス・アンド・クラーク・カレッジ
ピュージェット・サウンド大学法科大学院 (現在のシアトル大学法科大学院)
宗教キリスト教
公式サイト ⇒公式サイト

ウィリアム・マーティン・"ビル"・ウォーカー(: William Martin "Bill" Walker、1951年4月16日 - )は、アメリカ合衆国の政治家、弁護士。第13代アラスカ州知事を務めた(2014年 - 2018年)。ウィリアム・A・イーガン(英語版)知事(1959年 - 1966年、1970年 - 1974年)に次いで2人目のアラスカ州出身の同州知事である。
経歴

アラスカ準州フェアバンクスに生まれ、内陸部のデルタ・ジャンクションという小さな田舎町や、プリンス・ウィリアム湾沿いのバルディーズで育った[2]。アラスカに開拓者として移り住んだ、エド(英語版)とフランシスのウォーカー夫妻の第四子である。第二次世界大戦中、エドは第1アラスカ戦闘情報小隊の一員としてアリューシャン列島で偵察活動に従事し、フランシスはアラスカとカナダを結ぶ高速道路で働いた。バルディーズに甚大な被害を与えた1964年のアラスカ地震で、ウォーカー家は財産の大部分を失った[2][3]。家計を助けるため、ビルは12歳で用務員になった[2]。その後も大工や肉体労働者、トラック運転手などとして家業の建設業を支えるとともに、自らの学費をねん出した[4]

1969年にバルディーズ高校を卒業後、1973年にルイス・アンド・クラーク・カレッジから経営管理論の学士号を、1983年にピュージェット・サウンド大学法科大学院(現在のシアトル大学法科大学院)から法学博士号を取得した[5]。ウォーカーは妻とともに法律事務所を所有している。この法律事務所は主に地方自治体や石油、ガス関連の法律を専門にしている。1977年から1979年には、バルディーズ市の法定代理人[3] やアラスカ・ガソリン港湾公社の法律顧問[6][7] などとしてバルディーズ市議会で勤務した[8]。1979年には史上最年少の27歳でバルディーズ市長に当選し、翌年まで務めた[2][9]
アラスカ州知事
2010年の選挙

2010年8月24日に行われたアラスカ州知事選挙の共和党予備選挙において、ウォーカーは他の4名の新人候補とともに現職のショーン・パーネルに挑んだ。結果はパーネルが49.49%の得票率で指名を獲得したが、ウォーカーは33.95%で2位につけた[9][10]。本選挙は11月2日に行われ、そこではパーネルが民主党候補のイーサン・バーコウィッツを下した。
2014年の選挙

ウォーカーは2013年に、翌年のアラスカ州知事選挙に共和党から立候補する意向を表明した[11]。しかし同年、彼は無所属での出馬を決断した。これは2010年の知事選に先立って、元アラスカ州知事のウォーリー・ヒッケルから受けていた助言と勧めを受け入れたものであった[5][12]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:43 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef