ビリー・ボブ・ソーントン
Billy Bob Thornton
本名William Robert Thornton
生年月日 (1955-08-04) 1955年8月4日(68歳)
出生地 アメリカ合衆国・アーカンソー州ホットスプリングス
身長178cm
ジャンル俳優、映画監督、脚本家、ミュージシャン
活動期間1987年 -
配偶者Melissa Lee Gatlin (1978-1980)
Toni Lawrence (1986-1988)
Cynda Williams (1990-1992)
Pietra Dawn Cherniak (1993-1997)
アンジェリーナ・ジョリー(2000年 - 2003年)
Connie Angland (2014-)
主な作品
映画
『スリング・ブレイド』
『アルマゲドン』
『シンプル・プラン』
『チョコレート』
『バーバー』
『ラブ・アクチュアリー』
『バッドサンタ』シリーズ
『グレイマン』テレビドラマ
『FARGO/ファーゴ』
受賞
アカデミー賞
脚色賞
1996年『スリング・ブレイド』
ロサンゼルス映画批評家協会賞
助演男優賞
1998年『シンプル・プラン』
放送映画批評家協会賞
助演男優賞
1998年『シンプル・プラン』
主演男優賞(ミニシリーズ/テレビ映画部門)
2014年『FARGO/ファーゴ』
ゴールデングローブ賞
主演男優賞(ドラマシリーズ部門)
2016年『弁護士ビリー・マクブライド』
男優賞(ミニシリーズ/テレビ映画部門)
2014年『FARGO/ファーゴ』
その他の賞
ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞
主演男優賞
2001年『チョコレート』『バーバー』
特別業績賞
1996年『スリング・ブレイド』全米脚本家組合賞
脚色賞
1996年『スリング・ブレイド』
備考
ハリウッド名声の歩道
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ビリー・ボブ・ソーントン(Billy Bob Thornton, 1955年8月4日 - )は、アメリカ合衆国の俳優、映画監督、脚本家、ミュージシャン。アーカンソー州出身。 高校教師の父親とサイキックの母親との間に、アーカンソー州に生まれる[1][2]。野球が上手く、カンザスシティ・ロイヤルズへ入団しようとしたこともあったが、怪我のため夢は叶わなかった[3]。その後、地元のヘンダーソン州立大学へ進学して心理学を専攻するが、わずか2学期で中退。1980年代に入ると、芸能界を目指して友人のトム・エッパーソンと共にロサンゼルスに移り住む。 俳優としてデビューする前はドラマーまたシンガーとしてバンド活動をしていたが、俳優になるためにロサンゼルスで演技を学び始めた。ロサンゼルスでの下積み時代はかなり過酷なものだったらしく、金欠のためにじゃがいもオンリーの食事を続けたせいで心臓発作を起こしたこともある[4]。しかし、電話勧誘販売や風力発電会社の作業員、ファーストフード店員としてバイトしながら[3]、オーディションを重ねた。ファーストフード店員をしていた頃に、客として映画監督のビリー・ワイルダーが来店し、ワイルダーから「脚本を書け」とアドバイスされて執筆したものが後の『スリング・ブレイド』で見事アカデミー賞を獲得した[1]。 1980年代から小さな役で映画に出演しはじめる。1992年、トム・エッパーソンと共に脚本も書いた『運命の引き金』で主演も務め、注目されるようになる。1996年、監督・脚本・主演を務めたインデペンデント映画『スリング・ブレイド』がヒット、アカデミー脚色賞を受賞した。また『シンプル・プラン』では第71回アカデミー賞の助演男優賞にノミネートされた。 1978年から1980年までMelissa Lee Gatlinと結婚し娘を一人もうけている[5]。 1986年に女優のトニ・ローレンスと結婚したが、1988年に離婚。1990年から1992年まで女優のシンディ・ウィリアムズと結婚。1993年にはプレイボーイ・モデルのPietra Dawn Cherniakと結婚し息子をふたりもうけるが1997年に離婚[6]。 1997年から1999年までは女優のローラ・ダーンと交際し婚約までするが後に解消。 1999年の『狂っちゃいないぜ』で共演したアンジェリーナ・ジョリーとは2000年に結婚。2002年にカンボジアから養子を迎えることを公表したが、後にアンジェリーナ・ジョリーのみ親権を持つ形であることが明らかになった[7][8]。2003年に離婚。また映画のプロモーションでの公式な来日はないが、2001年当時に妻であったアンジェリーナ・ジョリーの主演作『トゥームレイダー』のプロモーションに夫婦で来日。その際には東京国際フォーラムで開催されたジャパンプレミアにも出席してアツアツぶりを見せた。だが記者会見翌日にアメリカ同時多発テロ事件が起きたことで、二人の滞在は予定よりも延びた。 2003年以降は特殊メイクアップ・アーティストのConnie Anglandと交際し、娘をひとりもうけている。長い交際期間を経て、2014年10月22日にロサンゼルスの自宅でプライベートな結婚式を挙げたことを代理人が2015年2月21日に発表した[9]。 俳優として活躍する傍ら、ミュージシャンとしての活動も有名で、『ザ・ボックスマスターズ』というバンドを率いている。 2009年、自身が所属するバンドのプロモーションでカナダを訪れた際に地元CBCラジオの音楽番組に出演。番組の冒頭でDJがソーントンを紹介する際に、ミュージシャンとしてではなく「アカデミー賞受賞脚本家で映画俳優の‐」と紹介したことがソーントンをムッとさせ、それから最後まで番組中ではあからさまにふてくされた態度を取った。さらにはソーントンが発したカナダ国民への非難の言葉でカナダ国民の反感を買い、予定されていた2つのライブ公演がキャンセルになる事態にまでなる。そのことは米国内において突如“俳優引退宣言”を発したホアキン・フェニックスの奇行と肩を並べる行為として紹介された。その際の映像がYouTubeで公開されると、150万回を超すアクセス数にまで達した[10]。
来歴
私生活
音楽活動
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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