ビリー・ジョイス
プロフィール
リングネームビリー・ジョイス[1]
ボブ・ロビンソン[1]
本名ボブ・ロビンソン[1]
ニックネームThe Shy Shooter of the North[2]
身長183cm[3]
体重100kg(全盛時)[3]
誕生日1916年5月3日[3]
死亡日 (2000-09-15) 2000年9月15日(84歳没)[2]
出身地 イギリス
イングランド
大マンチェスター州ウィガン[3]
トレーナービリー・ライレー
ビリー・ジョイス(Billy Joyce、本名:Bob Robinson、1916年5月3日 - 2000年9月15日[2])は、イギリス・大マンチェスター州ウィガン出身のプロレスラー[3]。
カール・ゴッチやビル・ロビンソンなどのシューターを輩出した「スネーク・ピット」ことビリー・ライレー・ジムのトレーナーとして知られる[4]。 1942年のプロデビュー後、ビリー・ライレー
来歴
1958年4月15日、ロンドンで行われた王座決定戦にてゴードン・ネルソンを破り、空位となっていたブリティッシュ・ヘビー級王座を奪取[6]。以降もジェフ・ポーツやイアン・キャンベルらを下して同王座を再三獲得、1967年1月18日にビリー・ライレー・ジムの弟子であるビル・ロビンソンに敗れるまで、通算6回に渡って戴冠した[6]。
キャリア末期の1968年5月、アルバート・ウォールらと共に国際プロレスに来日。豊登、グレート草津、サンダー杉山、田中忠治、木村政雄と対戦したが[7]、ブリティッシュ・ヘビー級王座を失った前年よりジョイスはジュニアヘビー級に転向しており、その際の無理な減量でコンディションを崩していたこともあって、戦績は芳しくなかった[4]。
2000年9月15日[2]、老衰により84歳で死去[3]。
エピソード
ビリー・ライレー・ジムでのジョイスとカール・ゴッチのスパーリングを実際に見ていたビル・ロビンソンによると、ゴッチはジョイスの足に触れることすらできず、1分程で極められてしまったという[8]。
ロビンソンはインタビューで、自身が対戦した最強のレスラーとしてジョイスを1位に挙げており、ヨーロッパやアメリカ、日本も含めた世界各地の対戦相手の中でも突出して強かったと語っていた[8]。