ビリー・ウィリアムズ
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この項目では、1959年から1976年までメジャーリーグでプレーしたビリー・ウィリアムズについて説明しています。その他の用法については「ビリー・ウィリアムズ (曖昧さ回避)」をご覧ください。

ビリー・ウィリアムズ
Billy Williams1969年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地アラバマ州ウィスラー
生年月日 (1938-06-15) 1938年6月15日(85歳)
選手情報
投球・打席右投左打
ポジション外野手
プロ入り1956年
初出場1959年8月6日
最終出場1976年10月2日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴


シカゴ・カブス (1959 - 1974)

オークランド・アスレチックス (1975 - 1976)

コーチ歴


シカゴ・カブス (1993 - 2001)

アメリカ野球殿堂 殿堂表彰者
選出年1987年
得票率85.71%
選出方法BBWAA[:en]選出
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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

ビリー・レオ・ウィリアムズ(Billy Leo Williams, 1938年6月15日 - )は、アメリカ合衆国アラバマ州ウィスラー出身の元プロ野球選手左翼手)。右投左打。

1959年から1976年にかけてシカゴ・カブスオークランド・アスレチックスでプレイし、通算打率.290、本塁打426本を記録し、アメリカ野球殿堂入りを果たした強打者。
経歴

1959年8月6日にシカゴ・カブスでメジャーデビュー。初のフルシーズンとなった1961年に146試合に出場し、打率.278、本塁打25、打点86の活躍でナ・リーグ新人王に選ばれた。1962年には初のオールスター出場を果たし、打率.298、22本塁打、91打点と活躍。1961年から1973年まで13年連続して20本塁打、80打点以上を記録。うち5年は30本塁打以上、100打点以上は3回、90打点以上も10回を記録した。そして、1962年から1971年にかけて当時のナ・リーグ記録となる1117試合連続出場を記録[1]

当時のカブスは「Mr. Cub(ミスター・カブ)」ことアーニー・バンクスをはじめ、ファーガソン・ジェンキンスロン・サントらスター選手が名を連ねたが、1945年以来ワールドシリーズから遠ざかっていた。1970年にはいずれもキャリア最高となる42本塁打、129打点で、本塁打打点の二冠でリーグ2位につけた(1位はジョニー・ベンチの45本塁打、148打点)。得点137、安打205、塁打373の三部門ではリーグ1位を記録。またMVP投票でもリーグ2位につけた(1位はジョニー・ベンチ)。そして、33歳で迎えた1972年のシーズンには打率は自己最高の.333を記録し、首位打者を獲得。37本塁打、122打点を記録したが、MVP投票では、またしてもベンチに敗れ、2位に終わった。1969年に東西2地区制が導入されたが、カブス在籍時には地区優勝すらできなかった。1974年に16本塁打、68打点に終わると、二塁手マニー・トリーヨと投手2人との交換トレードで、当時ワールドシリーズ3連覇中のオークランド・アスレチックスに移籍。1975年は主に指名打者として起用され、23本塁打、81打点を記録し、チームの地区優勝に貢献。しかし、ア・リーグチャンピオンシップシリーズボストン・レッドソックスに敗れ、念願のワールドシリーズ進出はならなかった。翌1976年限りで現役を引退。ウィリアムズのカブス在籍時の背番号「26」。
シカゴ・カブスの永久欠番1987年指定。2009年

引退後、1987年に全米野球記者協会による投票で85.71%の得票を獲得し、アメリカ野球殿堂入りを果たした。同年8月13日、カブス時代の背番号「26」は永久欠番となった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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