アルバムについては「ビヨンセ (アルバム)」をご覧ください。
ビヨンセ
2023年
ビヨンセの直筆サイン
基本情報
出生名ビヨンセ・ジゼル・ノウルズ
生誕 (1981-09-04) 1981年9月4日(42歳)
出身地 アメリカ合衆国 テキサス州ヒューストン
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R&B[1][2]
ポップ[3][2]
ヒップホップ[2]
アフロビート[4]
カントリー[5][2]
職業
シンガーソングライター
音楽プロデューサー
女優
ダンサー
担当楽器ボーカル
活動期間1997年 -
レーベル
コロムビア
ミュージック・ワールド
ビヨンセことビヨンセ・ノウルズ・カーター(英語: Beyonce Knowles-Carter、1981年9月4日 - )は、アメリカ合衆国・テキサス州ヒューストン出身のシンガーソングライター、ダンサー、音楽プロデューサー、女優。
デスティニーズ・チャイルド初期からのメンバーで、グループではリードボーカル、プロデューサーも兼ねた。
グラミー賞の歴代最多受賞記録とノミネート記録を保持している[6][7][8]。2023年時点で88回ノミネートされ、うち32回受賞を果たしている。
愛称は“B(ビー)”、“Queen Bey”。身長170cm。婚姻後の本名は、夫・ジェイ・Zの苗字「カーター」 (Carter) になっている。妹であるソランジュも全米アルバムチャート1位を記録する人気アーティストである。
概要[ソースを編集]
「最もホットな女性」「最も才能に溢れたシンガーソングライター」「伝説的なディーヴァ」など、様々な面での極めて高い評価上の称号を有し、その美貌は多くの女性たちからの羨望を受け、トミーヒルフィガーの香水「トゥルースター」をプロデュースしたりと[9][10]、いつしか知名度はデスティニーズ・チャイルドを超え、ソロデビューからアルバム連続6作品すべて初登場1位を獲得した史上初の女性アーティストになった。
これまでのCDトータルセールスは全世界で1億枚以上[11][12]、デスティニーズ・チャイルド時代の売上枚数3,000万枚を含めると[13]、全世界で1億3,000万枚を超える。
生い立ち[ソースを編集]
アフリカ系アメリカ人のマシュー・ノウルズ(Matthew Knowles)と、ルイジアナ・クレオールの祖先(アメリカインディアン、フランス人の血を引く)を持つティナ (Tina) との間に、長女として生まれた。フランス領ルイジアナとのゆかりからフランス系の名「ビヨンセ」と命名される。Beyonce(発音は異なる)は母・ティナの旧姓で、結婚する時に苗字を継ぐ男兄弟がいなかったために生まれた長女に「ビヨンセ」と名付けた[14]。
幼少時からアレサ・フランクリン、ホイットニー・ヒューストン、ジェームス・ブラウン、スティーヴィー・ワンダー、ダニー・ハサウェイ、マーヴィン・ゲイ、ミニー・リパートン、シャギー・オーティス、ジャクソン5、スプリームス等が好きで、ソウルミュージックやゴスペル、R&Bに夢中になり、次第にそれ以外の音楽も聴き、自分なりの音楽スタイルを求めるようになった[14][15]。7歳ごろのビヨンセはダンス・スクールに通い、最初にビヨンセの才能を見出したダンス講師の勧めで学校主催のタレント・ショーに出場した。ビヨンセはステージの上では自分がまったくの別人に生まれ変わることに気づき、パフォーマンスへの自信をつける[15]。
娘の潜在能力に気づいた両親は、地元ヒューストンで7人組(すぐに6人組になる)のガールズ・グループ「ガールズ・タイム」 (Girl's Tyme) を結成させた。ビヨンセは、マイケル・ジャクソンやティナ・ターナーのライブを観てスターを目指し、12歳の頃は、母・ティナがやっていた美容室の客に向けて歌ったりしていた[16]。
「ガールズ・タイム」はなかなか大きな成果を得られなかったため、ビヨンセの父・マシュー・ノウルズが、当時勤めていたゼロックス社の職を辞して全マネージメントを一手に引き受けることになった[15]。ビヨンセたちメンバーは10代の半ばになると、レッスンに専念するために学校を中退して(代りに家庭教師をつけた)、メジャー・デビューに向けて地道な活動を続けた。ビヨンセは父の厳しい指導の元、才能を磨いていき[16]、聖歌隊員として教会でも歌っていた[15]。
デスティニーズ・チャイルド[ソースを編集]詳細は「デスティニーズ・チャイルド」を参照
「ガールズ・タイム」 (Girl's Tyme) は1996年、聖書の『イザヤ書』を読んでいたビヨンセの母の提案で、「デスティニーズ・チャイルド」 (Destiny's Child) に改名した[15]。やがて4人組のデスティニーズ・チャイルドは、コロムビア・レコードの社員の目にとまり、1997年にデビュー・シングル、1998年にデビュー・アルバムを出し、全米の人気グループになった。
父・マシュー・ノウルズはマネージャー、母・ティナはデスティニーズ・チャイルドの衣装デザイン兼専属スタイリストを担った。この家族経営のスタイルは、次第に他の第一次デスティニーズ・チャイルドのメンバーたち(ラターヴィアとラトーヤ)の反感を買いった。マネージャーであるマシューを追い出そうとしたメンバー二人が、逆に追い出され、ビヨンセと、ビヨンセの親友・ケリー・ローランド以外のメンバー脱退に至ったといわれている[15]。
新メンバーを加えたデスティニーズ・チャイルドは、その後2005年に解散した。再結成の噂が度々浮上し、ビヨンセのライヴやスーパーボウルでの一日限定の再結成、新曲の発表などはあったが、本格的な再結成実現には至っていない。
ソロ活動[ソースを編集]
デスティニーズ・チャイルドのメンバーそれぞれがソロ活動をし、グループ活動を休眠中の2001年、ビヨンセはMTV制作の映画『カルメン:ア・ヒップ・ホペラ』 (Carmen: A Hip Hopera) の主役に抜擢された。次に2002年に映画『オースティン・パワーズ ゴールドメンバー』 (Austin Powers in Goldmember) に出演し、その主題歌「ワーク・イット・アウト」 (Work It Out) を6月にリリース。同年10月には、ボーイフレンドと噂されていたジェイ・Zとのシングル「'03 ボニー&クライド」 ('03 Bonnie And Clyde) もリリースした。しかしメンバーのケリー・ローランドのソロデビュー・アルバム『シンプリー・ディープ』 (Simply Deep) に手を貸すなどするうちに、自身のソロデビュー・アルバムの発表は延び延びになっていた[14]。
2003-2004年:デンジャラスリィ・イン・ラヴ[ソースを編集]
2003年6月、レコーディングに1年半かけたソロデビュー・アルバム『デンジャラスリィ・イン・ラヴ』 (Dangerously in Love) をリリースした。ジェイ・Zをフィーチャリングしたファースト・シングル「クレイジー・イン・ラブ」 (Crazy In Love) は、8週連続ビルボード・ホット100シングルチャートで1位を記録し、この夏最大のヒットとなった。
1stアルバム『デンジャラスリー・イン・ラヴ』はアメリカ、イギリス、カナダでポップアルバムチャート(ビルボード200)とR&Bアルバムチャートでトップを記録。アメリカで400万枚、全世界では1,100万枚以上のセールスを記録[15]。シングルとアルバムが同時にアメリカとイギリスでポップチャート1位を記録するのは1983年以来、女性では初の功績となった。ビヨンセは、2003年最も商業的に成功を収める女性R&B歌手になるまで成長した。2004年には、アリシア・キーズに押されて女性で2位に転落したものの、アリシアもビヨンセを超えるほどのセールスを記録することはなかった。「Baby Boy」を踊るビヨンセ
夏の終わりにかけて、ダンスホールレゲエ歌手のショーン・ポールをフィーチャーした2枚目のシングル「ベイビー・ボーイ」(Baby Boy) もヒットチャートに浮上し、2003年の大ヒット曲の1つになった。秋はラジオでもヘヴィー・ローテーションされ、「クレイジー・イン・ラブ」より1週長い9週連続1位を記録した。この曲はビヨンセ曰く「アラビック・レゲエ」で、衣装もアラブ調で披露されることがある。「ベイビー・ボーイ」の成功からまもなく、3枚目のシングル「ミー、マイセルフ・アンド・アイ」(Me, Myself and I)、続いて翌年には、4枚目のシングル「ノーティ・ガール」(Naughty Girl) をリリース。両曲は、ビルボード・ホット100でそれぞれ最高4位と最高3位を記録した。
5枚目のシングルは、ロバータ・フラックとダニー・ハサウェイの楽曲を元にした、ルーサー・ヴァンドロスとのデュエット「ザ・クローサー・アイ・ゲット・トゥ・ユー」(The Closer I Get to You) で、ヴァンドロスがフラックのパートを歌い、ビヨンセはハサウェイのパートを歌っている。