ビトントの戦い
戦争:ポーランド継承戦争
年月日:1734年5月25日
場所:ナポリ王国、ビトント近く
結果:スペインの決定的な勝利
交戦勢力
スペイン王国 ハプスブルク帝国
指導者・指揮官
モンテマール公
ビトントの戦い(ビトントのたたかい、イタリア語: Battaglia di Bitonto)は、ポーランド継承戦争中の1734年5月25日、ナポリ王国のビトントにてスペイン軍がオーストリア軍に勝利した戦闘。戦後、オーストリア軍のナポリにおける抵抗はいくつかの要塞を残すのみとなった。 スペイン継承戦争により、スペインはナポリ王国とシチリア王国をハプスブルク家に割譲した。スペイン王フェリペ5世は両王国を再征服しようとした。1714年、彼はイタリアのパルマ公国の継承権があるエリザベッタ・ファルネーゼと結婚した。彼女の影響により、フェリペ5世はイタリアの領地を回復しようとして四国同盟戦争を起こしたが失敗に終わった。1733年にポーランド継承戦争が勃発すると、フェリペ5世はこれを西ヨーロッパからの軍事援助のないハプスブルク家(グレートブリテン王国とネーデルラント連邦共和国は中立を維持した)を攻撃する好機と見た。ハプスブルク家がすでにフランス王国とサルデーニャ王国と敵対したため、フェリペ5世は1733年11月にフランスと第一次ブルボン家族協約にあたるエスコリアル条約を締結した。条約は相互の守備と援助を約し、イタリア半島でのハプスブルク家領に協力して侵攻することを約束した。 ルイス・デ・コルドバ・イ・コルドバ
目次
1 背景
2 戦闘
3 その後
4 脚注
5 外部リンク
背景
オーストリアが任命した副王グイード・ヴィスコンティ(Guido Visconti)はまずプッリャのバーリに逃げ、続いて5月21日に将軍の1人と船で逃亡し[3]、オーストリア軍の指揮をベルモンテ公(英語版)ジュゼッペ・アントニオ(Giuseppe Antonio)に委ねた。オーストリア軍はシチリア島からの増援と合流、また船でターラントに到着した新しく徴兵された兵士も編入した。