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やノートページでの議論にご協力ください。ビデオ戦争(ビデオせんそう)とは、ビデオテープレコーダに関する規格争いである。VTR創世期以降、さまざまな規格争いが展開されている。
本項では主としてVHSとベータマックスの規格争いに関して述べる。 家庭用ビデオの最初期には、カセット収納型規格として
家庭用ビデオの黎明期
U規格 - ソニー・松下電器(現・パナソニック)・日本ビクター(現・JVCケンウッド)、後に放送用・業務用へ転用
Vコード / VコードII
オートビジョン方式 - 1973年、松下電器[1]
VX方式 - 松下寿電子工業(現・PHC))
ベータマックス - ソニー。
VHS - 日本ビクター
など、さまざまな規格が乱立していたが、開発・販売が先行していたU規格がカセットの大きさや価格の面で家庭用としては普及せず、各社が1/2インチテープを使用する各規格を構築し「家庭用の本命」とPRしていた。
その後1975年にソニーが文庫本サイズの媒体を用いるベータマックスを発売したのに対し、1976年に日本ビクターはVHS方式のビデオカセッターHR-3300を発売[2]した。
他社ではVコードを開発した東芝・三洋が「ベータ方式」に参入(当初は併売)、オートビジョン方式・VX方式を開発した松下電器も、子会社であるビクターが開発したVHSの併売を決め、最終的には「ベータ方式」と「VHS方式」に収斂された。
1980年にテクニカラーと船井電機が提唱したコンパクトビデオカセット(CVC) はキヤノンにもOEM供給されたが既にベータ方式とVHS方式の2強状態であったため、数年で撤退し船井電機はVHS陣営に加わった。 結果としてベータ陣営は、ソニーを規格主幹として東芝・三洋電機・NEC・ゼネラル(現・富士通ゼネラル)・アイワ(現・ソニーマーケティング)・パイオニア(現・オンキヨーテクノロジー)が、VHS陣営は日本ビクターを規格主幹として松下電器を中心にシャープ・三菱電機・日立製作所・船井電機・ニコン・オリンパス・赤井電機などが、それぞれ加わった。 ソニーのベータマックスが「U規格と同等の性能確保」を意識し、基本録画時間を1時間(後のβIモード)として画質を堅持、U規格と同じ形態によるフルローディングとして機能性を維持していた[注 1]のに対し、VHS方式では家庭用途を意識して、小型軽量、低廉なテープ、市場調査の結果、基本録画時間を2時間と設定した。βTモードの画質は、VHS標準モードと比べ、S/N、解像度は数値は同等であったが、視覚的には勝っていた。録画時間で劣るベータマックスは、すぐさま2倍モードに相当する「βII」モードを開発・搭載することでVHS方式に対抗したが、2倍モードの構造的問題(H並びが合わないなど)から、再生処理を本来規格から変更せざるを得ず、βIIモードの再生処理を基本とした「ベータ方式」として規格を再構築し、これを各社が採用する形となった(最初期のβIをソニー以外の各社がサポートしない理由となっている)。ベータマックスの記録モードの基本が、テープ速度を半減したβIIモードになったことから、画質面ではS/N比は3dBほど劣化し、VHSにやや劣ることになった。機能面ではVHSはノイズレススロー再生や、ドロップアウト補正機能を初期においてリリースし、ソニーも高機能化を意図した製品を投入した。 一方でVHS方式はユーザーにはベータマックスよりも録画時間が長い点が受け入れられ、メーカーには使用部品数が少なくコストの面でニーズに合致していた[2]。販売店の多かったVHS陣営は1978年度には生産台数でベータ陣営を抜き、1982年には毎日新聞が「ベータに敗色」と見出しをつけて報じるなど、「VHSの勝利」という認識が拡がった。 ソニーはベータの苦境を見て、1984年(昭和59年)に4日間連続の新聞広告で「ベータマックスはなくなるの?」「ベータマックスを買うと損するの?」「ベータマックスはこれからどうなるの?」といった問いかけに「答えは、もちろん「ノー」。」「もちろん発展し続けます。」というキャッチコピーを入れ、最終日に「ますます面白くなるベータマックス!」という展開で終わる新聞広告を行ったが、4日間継続して読み続けないと、消費者に意図が上手く理解できない構成だった[注 2]。 東芝・三洋などベータ陣営のメーカーもVHS方式の併売をはじめ、程なくベータ方式の新規開発を取りやめ、VHSへ完全に鞍替えした。
VHS対ベータマックス