ビッグサー
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ビッグサー
カリフォルニア州の地域
ビッグサー海岸、右中央にビクスビークリーク橋
ビッグサーの位置
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座標:.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度06分27秒 西経121度37分33秒 / 北緯36.10750度 西経121.62583度 / 36.10750; -121.62583座標: 北緯36度06分27秒 西経121度37分33秒 / 北緯36.10750度 西経121.62583度 / 36.10750; -121.62583
アメリカ合衆国
州 カリフォルニア州

ビッグサー(: Big Sur)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州セントラルコーストにある人口の希薄な地域である。サンタルシア山脈が太平洋岸から急に立ち上がっている所にある。「ビッグサー」という名前は元々「大きな南」を意味するスペイン語el sur grandeから、あるいは「南の大きな国」を意味するスペイン語el pais grande del surから来ている。その地形は絶景の連続であり、人気のある観光地になっている。コーン山は標高5,155フィート (1571 m) あり、大陸アメリカ合衆国48州の海岸線にある山としては最高峰であり、太平洋から僅か3マイル (4.8 km) しか離れていない[1]

ビッグサーには具体的な境界が無いが、その多くの定義ではカーメル川から南にサンカルポフォロ・クリークまでの海岸線90マイル (140 km) で、内陸のサンタルシア山脈東部丘陵までの幅約20マイル (32 km) の地域である。別の定義では東側の境を山脈の海岸側側面までとし、幅は僅か3マイル (5 km) から12マイル (19 km) に限定している。さらに別の定義では太平洋岸を走るカリフォルニア州道1号線のサンシメオンからカーメルまでの区間としている。

ビッグサーの北端はサンフランシスコから約120マイル (190 km) 南にあり、南端はロサンゼルスから北西に約245マイル (394 km) である。
歴史
インディアン

インディアンオローニ族、エセレン族およびサリナン族という3部族が、現在ビッグサーと呼ばれる地域に住んだ最初の人類である。考古学的調査に拠れば、彼らは数千年前からこの地域に住み、遊牧的狩猟採集生活を営んでいた[2]

その物質文明の幾つかの名残が残されている。鏃は黒曜石燧石で作られており、これらの石の最も近い採取場所がシエラネバダ山脈北カリフォルニアの海岸山脈であることから、数百マイル離れた部族と交易を行っていたことを示している。

インディアンは季節によって食料資源を追って動き、冬には海岸近くに住んでムール貝アワビなど豊富な海の産物を採取し、その他の季節には内陸に行ってオークドングリを採取した。大きな露出した岩の中をボウル状に刳り貫いて作った岩の臼がビッグサー全域で見つかっており、ドングリを挽いて粉にしたと考えられている。これら部族は火を扱うことを身につけ、木を生長させ食糧生産を増やしていた[3]
スペインの探検と開拓

ビッグサーを最初に見たヨーロッパ人は1542年にフアン・カブリロが率いたスペイン人船員だった。カブリロは上陸することなく海岸を北上した。その後2世紀経ってからスペインはこの地域の植民地化を試みた。1769年、ガスパル・デ・ポルトラが率いた遠征隊がビッグサーの南側、サンカルポフォロ・キャニオン近くに足を踏み入れた最初のヨーロッパ人だった[4]。その隊は切り立った崖に恐れをなしてこの地域を避け、内陸に進んだ。

ポルトラは1770年にモントレー湾に上陸し、カリフォルニアにおける伝道所の大半を設立することに貢献したフニペロ・セラ神父と共にモントレーの町を設立した。モントレーはスペインの植民地アルタ・カリフォルニアの首都になった。スペインはこの時期にビッグサーという名前をこの地につけた。それは南の大きな国という意味だったが、そこは首都モントレーの南にある広大で探検が行われておらず、通り抜けもできないような土地だったので、短く「大きな南」el sur grande,と呼ばれることが多かった。

スペインの植民地化によってインディアンの人口が激減した。その大半は18世紀にヨーロッパから伝わった疫病で死ぬか、伝道所での強制労働と栄養不良で死んだ。残ったものたちは19世紀にスペインとメキシコの牧場主達の生活と同化していった[5]
ランチョとホームステッド

メキシコが1821年にスペインからの独立を果たした時、カリフォルニアの他地域と同様ビッグサーもメキシコの一部になった。1834年、メキシコの総督ホセ・フィゲロアがビッグサーの北部でフアン・バウティスタ・アルバラドに広さ8,949エーカー (36 km2) の特許土地ランチョ・エル・スルを与えた[6]。その後間もなくアルバラドの姻戚による叔父ジョン・B・R・クーパー船長がこのランチョを所有した[7]。ビッグサーに今も残っている最古の建物は「クーパー・キャビン」と呼ばれ、1861年にクーパーの牧場に建てられたものである[8]

1848年、米墨戦争の結果として、メキシコはカリフォルニアをアメリカ合衆国に割譲した。1862年にアメリカでホームステッド法が成立した後、幾らかの頑健な開拓者が広さ160エーカー (0.6 km2) の無料の土地に惹きつけられてビッグサーに移動してきた。地元の地名はこの時期の開拓者に因むものが多い。例えば、ガンボア、ファイファー、ポスト、パーティントン、ロスおよびマックウェイなどであり、よくある名前になっている。この地域はイングランドとスペインの歴史的遺産を継承し、新しい開拓者は英語とスペイン語を混ぜて「ビッグサー」という地名を使うようになった。
産業化の時代とゴールドラッシュ1930年代に撮影されたビッグサー

1860年代から20世紀への変わり目に掛けて、製材業が海岸に近いセコイアの木の大半を切り倒した。地元経済はタンオークの樹皮を取ることに基づく産業に加え、の探鉱、および石灰岩の切り出しが行われ、今日よりも多くの仕事を提供し、人口も多かった。1880年代、ゴールドラッシュのブームタウンであるマンチェスターが南部のアルダー・クリークに出現した。この町は人口200人となり、店舗4店、レストラン1軒、酒場5軒、ダンスホール1軒およびホテル1軒ができたが、20世紀への変わり目から間もなく放棄され、1909年に大火で消失した[9]。産業のために物資を供給するための信頼できる道路が無かったので、地元の事業家が海岸のビックスビー・ランディングなど幾つかの入り江に小さな船が寄せることのできる上陸施設を建設した[10]。これら上陸施設は現在どれも残っておらず、この短期間に終わった産業の時代の名残はほとんど見ることができない。岩が多く孤立した地形のために最も頑健で自立できた開拓者以外は残れなかった。モントレーの町まで30マイル (50 km) の距離は荒く危険な道を荷車で3日間を要していた[11]
カリフォルニア州道1号線開通の前後

産業化のブームが萎んだ後、20世紀の初期はほとんど変化が無く、ビッグサーはほとんど近づきがたい原生地域のままだった。1920年代後半になって、全地域で2軒の家だけが水車と風車で発電した電気を利用していた[12]。人々の大半は1950年代初期にカリフォルニア電力グリッドが設立するまで電力無しに暮らしていた。

ニューディール政策による資金によって受刑者の労働力を使い、18年間の建設期間を経て、現在カリフォルニア州道1号線と呼ばれる2車線舗装道路が1937年に完成すると、ビッグサーは急速に変化を遂げた[13]。この道路ができる以前、カーメルより南、サンシメオンより北の海岸は州内でも最も僻地であり、アクセスの難しいことではアメリカ合衆国の他のどこにも比べられないほどだった[14]。州道1号線が地域の経済を劇的に変化させ、外界をより身近なものにし、牧場や農場は急速に旅行者を収容する場所やセカンドハウスに変わっていった。このような近代化が進んだとしても、地元住民が土地の保護のために戦ったことが大きく効いて、最悪の過剰な開発までは行われなかった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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