ビセンテ・マルティーン・イ・ソレル
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.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はマルティン、第二姓(母方の)はソレールです。

ビセンテ・
マルティン・イ・ソレール
Vicent Martin i Soler

基本情報
生誕1754年5月2日
スペイン帝国バレンシア
死没 (1806-01-30) 1806年1月30日(51歳没)
ロシア帝国サンクトペテルブルク
ジャンル歌劇、バレエ音楽
職業作曲家
ポータル クラシック音楽

ビセンテ・マルティン・イ・ソレール(Vicente Martin y Soler, 1754年5月2日 - 1806年1月30日)はバレンシア出身の18世紀の舞台音楽の作曲家。今日ではほとんど無名になっているものの、生前は歌劇やバレエ音楽の作曲家として著名で、とりわけオペラ・ブッファ作曲家として、モーツァルトと並び立つ存在として好意的に評価されてきた。近年になって再評価が進みつつあり、歌劇の上演及び録音が行われるようになった。

ボローニャに留学してジョヴァンニ・バッティスタ・マルティーニ師に音楽を師事。最初のオペラ《騙された先生 Il tutore burlato 》(1775年)は、ジョヴァンニ・パイジエッロの《フラスカーティの女 La frascatana 》(原作はフィリッポ・リヴィーニの戯曲)の改作であった。マルティーン=イ=ソレルはその台本をイタリア語からスペイン語に改め、サルスエラ《マドリッドの女、または騙された先生 La Madrilena o el tutor burlado 》として、1778年マドリッドで初演を行なった。

1777年ナポリを訪れ、最初のバレエ音楽サン・カルロ劇場のために作曲する。この頃は振付師シャルル・ルピックの協力を得て、以下の4つのバレエ・ダクションを作曲した。

ラ・グリゼルダ La Griselda (1779年アポストロ・ゼーノの台本に由来)

サビーニ族の女たちの陵辱 I ratti sabini (1780年

麗しのアルセーネ La bella Arsene (1781年

タマシュ・クリ汗 Tamas Kouli-Kan (1781年、ヴィットリオ・アメデオ・チーニャ=サンティの戯曲に基づく)

また、2つの中間的な性格のバレエ(1778年の《ペルシャの花嫁 La sposa persiana 》と、ボーマルシェの戯曲に基づく1781年の《セビリアの理髪師 Il barbiere di Siviglia 》)も手懸けている。

ナポリでは、宮廷脚本作家のルイージ・セリオの力を得て、2つのオペラ・セリア《イフィジェニア Ifigenia 》(1779年)と《イペルメストラ Ipermestra 》(1780年)を作曲している。

1785年ウィーンに移り、ロレンツォ・ダ・ポンテの台本に作曲して国際的な大成功を収める。特に以下の一連のコミック・オペラが特に有名である。

椿事 Una cosa rara (1786年、原作:ルイス・ベレス・デ・ゲバラの戯曲「山上の月 La luna de la sierra 」)

ぶっきらぼうな善人 Il burbero di buon cuore (1786年、カルロ・ゴルドーニの戯曲)

ディアナの樹 L'arbore di Diana (1787年

マルティーン=イ=ソレルは、オペラ《椿事》によってワルツをウィーンに取り入れた人物であるとも見なされている。また《椿事》の宴の場面は、モーツァルトが《ドン・ジョヴァンニ》(1787年)の終幕の参考にし、旋律を引用している。さらに、モーツァルトは《ぶっきらぼうな善人》の挿入曲としてアリア「誰が知るでしょう、いとしい人の苦しみを」(K.582)と「私は行きます、でもどこへ」 (K.583)を1789年に作曲している。

1788年ロシア宮廷に招かれてサンクトペテルブルクに行き、エカチェリーナ2世の台本による《不遇の英雄コスメトヴィチ》(1789年)などのロシア語オペラと、シェイクスピアの『じゃじゃ馬馴らし』に基づく《礼儀正しい気紛れ娘 La capricciosa corretta 》(台本ダ・ポンテ、1795年)や《村祭り La festa del villaggio 》(1798年)などのイタリア語オペラを完成させた。

サンクトペテルブルク在住中に、《見棄てられたディドー Didon abandonee 》(1792年)、《クピドとプシュケー Amour et Psyche 》(1793年モリエールコルネイユキノー原作)、《タンクレディ Tancrede 》《ポリオルセートの帰還 Le retour de Poliorcete 》(1799年)といった数々の悲劇バレエを作曲した。

1806年、ロシア宮廷作曲家に在職中に急逝した。
外部リンク

ビセンテ・マルティーン・イ・ソレルの楽譜
- 国際楽譜ライブラリープロジェクト

マルティン・イ・ソレル

ダ・ポンテ - archive.today(2013年4月27日アーカイブ分)

academia/templates/pdf/an227.pdf Academia News No.227(PDFファイル)

評伝(英語・pdfファイル)

作品一覧(独語)

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