ビスマルク_(戦艦)
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出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2011年2月)

ビスマルク

基本情報
建造所ブローム・ウント・フォス
運用者 ナチス・ドイツ海軍
艦種戦艦
級名ビスマルク級戦艦
艦歴
発注1935年11月16日
起工1936年7月1日
進水1939年2月14日
就役1940年8月24日
最期1941年5月27日、英艦隊と交戦喪失
要目
基準排水量41,700トン
常備排水量45,950トン
満載排水量50,405トン
全長250.5m
水線長241.55m
幅36.0m
吃水9.3m (基準)
10.2m (満載)
ボイラーワーグナー式高圧重油専焼缶12基
主機ブローム・ウント・フォスギヤード・タービン3基3軸
出力138,000hp(標準蒸気圧時出力)
150,170 hp (110MW) (高加圧時出力)= 30.1ノット (54km/h) (公試時)
速力30.8ノット(公試時)
航続距離16ノット/9,280海里
19ノット/8,525海里
24ノット/6,640海里
28ノット/4,500海里
乗員2,092名 (士官103名, 兵員1,962名 , 27名の高官)(1941年時)
兵装38cm(48.5口径)連装砲4基
15cm(55口径)連装砲6基
10.5cm(65口径)連装高角砲8基
37mm(83口径)連装機関砲8基
20mm(65口径)4連装機関砲2基
20mm(65口径)単装機関砲12基 (1941年5月時)
装甲舷側:320mm(水線面上部)、145mm(第一甲板舷側部)、170mm(水線面下部)
上甲板:50mm - 80mm、装甲甲板:80mm - 120mm
主砲塔: 360mm(前盾)、220mm(側盾)、320mm(後盾)、130mm(天蓋)
副砲塔: 100mm(前盾)、80mm(側盾)、40mm(後盾)、40mm(天蓋)
バーベット部:340mm
司令塔:350mm(前盾)、350mm(側盾)、200mm(後盾)、220mm(天蓋)
搭載機アラドAr196A-3水上偵察機4機
カタパルト一基
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ビスマルク (Bismarck)は、第二次世界大戦中のドイツ海軍戦艦で、ビスマルク級戦艦のネームシップである。艦名は、ドイツ統一の立役者で、鉄血宰相の異名を持つオットー・フォン・ビスマルクにちなんで付けられた。
特徴・艦歴

設計は1934年に始まり、排水量はイギリスとの合意であった35,000トンを越え、41,700トンまで増加した。1936年7月1日にハンブルクの造船会社ブローム・ウント・フォス社で起工、1939年2月14日に進水、1940年8月に就役した。ドイツの科学力や知識の粋を集めた戦艦だったため、沈没によってドイツ海軍は多大な損害を受けた。

排水量だけを見れば当時世界最大級の戦艦であったが、対空射撃管制や装甲板の防御配置、乗員の練度などに問題も多かった。ドイツ海軍は第一次世界大戦の戦訓から、第一に遠距離より大角度で上甲板に落着する砲弾と、兵器の発達に伴う航空爆撃への対処を重視して装甲配分を検討することになる[1]。その過程で、増やすことのできない装甲重量の範囲内で水平防御力を確保するべく、側面防御力の弱体化を甘受せざるを得なかった。

また、進歩の中途にあった航空爆弾がいかなる装甲甲板をも貫通する懸念があったため、上甲板で最重量級の航空爆弾や徹甲弾を防ぐことを断念した。その代わり、艦の中央部に最も厚い水平防御を配置し、上甲板を貫通した砲弾や爆弾をそこで阻止しようと意図した。同時にこの主装甲板の両端を、装甲帯の下限に向けて少しだけ傾斜させることで、弱体化した側面装甲を貫通した砲弾がそこで弾かれるよう想定した。それでも側面装甲は、38.1cm砲弾に対して安全であるとされた2万メートルから3万メートル[2]において、少なくともバイタルパートだけは、砲弾の破壊効果を免れることを期待するものでしかなかった。なお、本艦はバイエルン級の設計を引き継いだとされる[要出典]。同級の設計は旧態依然としていた[独自研究?]が、連合国、特にイギリスのビスマルク級に対する警戒心は強く、抑止力としては有効であった。

ヒトラーもこの戦艦を気に入り、鉄の聖堂ともたとえられたという。
ライン演習詳細は「ライン演習作戦」を参照

イギリスの補給線を断つライン演習作戦は、当初ビスマルク、重巡洋艦プリンツ・オイゲンに加え、戦艦シャルンホルストグナイゼナウが参加し、戦艦3 重巡洋艦1の強力な水上艦隊をもって行う予定であった。

しかし、作戦前にシャルンホルストは機関故障の修理でブレストに留まり、またグナイゼナウはブレストでイギリス軍雷撃機の攻撃を受け推進軸が損傷、修理のため参加が不可能となってしまった(この修理には6ヶ月を要したという) 。そのため、ビスマルク、プリンツ・オイゲンの2隻で作戦を行うこととなった。

ビスマルク戦隊は、1941年5月18日に出港、同隊の出港はイギリスの諜報員によって報告されていた。スカゲラク海峡スウェーデン海軍の航空巡洋艦ゴトランドに発見される。ゴトランドは数時間の間ビスマルクを追尾し、スカゲラク海峡を通過し見失ったところでイギリス軍に報告した。

ビスマルクはその後マールスタイン島に向け回頭。コールスフィヨルドを越えグリムスタ狭湾で、プリンツ・オイゲンはカルヴァネス湾で錨泊した。この夜イギリス空軍の偵察機に発見され、その位置は同司令部に報告された。

21日に巡洋艦ノーフォークおよびサフォークによって発見される。この時ビスマルクは主砲を発射するが、その時の衝撃で前方警戒レーダーが故障。その影響でプリンツ・オイゲンとビスマルクは並び順を交代した。

イギリス軍司令部がビスマルク発見の報告を受けた時、トーヴィー大将率いる本国艦隊スカパ・フローに停泊中だった。この艦隊は巡洋戦艦フッド、戦艦プリンス・オブ・ウェールズ、空母ヴィクトリアスを主力としていた。

フッドは老朽化しているとは言え、ビスマルクにとって脅威であった。一方のプリンス・オブ・ウェールズは未完成状態であり、慣熟訓練すら済んでいない状況だった[3]
デンマーク海峡海戦デンマーク海峡海戦で、退却する英戦艦プリンス・オブ・ウェールズを砲撃するビスマルク (1941年5月24日)詳細は「デンマーク海峡海戦」を参照

1941年5月24日早朝、プリンツ・オイゲンと共にデンマーク海峡を進んでいたビスマルクに巡洋戦艦フッドと戦艦プリンス・オブ・ウェールズの部隊が南から接近した。

05:52 フッドが距離約23,000mの位置にプリンツ・オイゲンを捉え、射撃を開始。

ビスマルクにとって幸運だったのは、この時フッドがプリンツ・オイゲンとビスマルクを誤認しており、砲撃開始後しばらくしてビスマルクへの砲撃に切り替えた。


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