ビスマルク級戦艦
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ビスマルク級戦艦

艦級概観
艦種戦艦
艦名人名
前級バイエルン級戦艦
次級H級戦艦(計画中止)
性能諸元
排水量基準:41,700トン
常備:45,950トン
満載:50,300トン
全長251.0m
全幅36.0m
吃水9.3m(基準)
10.2m(満載)
機関ワーグナー式重油専焼高圧型水管缶12基
+ブラウン・ボベリー式ギヤード・タービン3基3軸推進
最大出力138,000hp(標準蒸気圧時出力)
150,170hp(高加圧時出力)
最大速力30.8ノット(公試時)
航続距離16ノット/9,280海里
19ノット/8,525海里
24ノット/6,640海里
28ノット/4,500海里
乗員2,092名(1941年時)
兵装38cm SK C/34(47口径)(英語版)連装砲4基

15cm SK C/28(55口径)(英語版)連装速射砲6基、
10.5cm SK C/33(65口径)連装高角砲8基、
3.7cm SK C/30(83口径)連装機関砲8基、
2cm FlaK 38(65口径)四連装機関砲2基&同単装機関砲12基 (1941年5月時)
装甲舷側:320mm(水線部)、145mm(第一甲板舷側部)、170mm(水線面下部)

甲板:110mm(最厚部)
主砲塔: 360mm(前盾)、220mm(側盾)、320mm(後盾)、130mm(天蓋)
副砲塔: 100mm(前盾)、80mm(側盾)、40mm(後盾)、40mm(天蓋)
主砲 バーベット部:340mm(最厚部)
司令塔:350mm(前盾)、350mm(側盾)、200mm(後盾)、220mm(天蓋)
艦載機アラドAr196A-3水上偵察機4機
カタパルト1基

ビスマルク級戦艦(ビスマルクきゅうせんかん、Schlachtschiffe der Bismarck-Klasse)は シャルンホルスト (Scharnhorst) 級戦艦に引き続き、ドイツ海軍第二次世界大戦中に竣工させた最初にして最後の超弩級戦艦である。

一番艦のビスマルクは1936年7月1日に起工、1940年8月に竣工した。二番艦ティルピッツは1936年11月に起工し、1941年2月に竣工した。
概要本級以前にドイツ海軍で建造された超弩級戦艦「バイエルン」。

ドイツ1935年3月、ヴェルサイユ条約を破棄し、同年5月18日に英独海軍協定を締結した。そして、協定に沿った建艦計画を同年中に立て、北大西洋を見据えた長距離行動が可能な装甲艦を基本に置いた艦隊の編成を計画した。その中で仮想敵国であるイギリスフランス(両国は同盟関係でもあった)の阻止攻撃から通商破壊作戦に当たる艦船を防衛するために、戦艦艦隊の必要性が認識され、本級が建造された[1]。後のZ計画もこの構想を拡大した形で引き継いでいるが、同計画が目標とした1945年の対英戦準備完了時点を想定した構想では、本級とシャルンホルスト級を中心とした艦隊が北海で睨みを効かせ、イギリス艦隊を本国海域に拘束する計画となっている。通商破壊は装甲艦など他艦の役目であり、イギリス海軍が船団護衛や通商破壊艦狩りに兵力を分散配置した場合には、H級戦艦を中心とした別の水上艦隊を大西洋に出撃させることになっていた[2]本級建造前にドイツ海軍で脅威と見なされたフランス海軍の「ダンケルク」。

本級の構想自体は英独海軍協定以前より存在していたが、上記の経緯からイギリス、フランスの戦艦に対抗できる能力が求められ、規模は拡大していった。フランス海軍についてはダンケルク級戦艦への対抗を想定している。当初は「13インチ砲8門搭載で速力30ノット以上、基準排水量35,000トン」を目的として設計され、設計期間短縮のために第一次世界大戦時に設計された超弩級戦艦バイエルン級」の設計を流用した経緯はシャルンホルスト級戦艦と同一である。このため「新しい旧式艦」といわれることもある。基準排水量は協定に従い35,000トンと公表されたが、実際には協定を違反する4万トン超に達した。

英独海軍協定に従えば、本級建造によって残る建造枠は1隻となるはずだったが、結局協定は破棄された。また、本級の設計は後続艦のタイプシップとして成立しており、H-39からH-44に至る全ての戦艦が、本級の基本設計を踏襲・拡大改良したものとなっている。

当初の建造計画を上回る主砲を搭載してイギリスやフランスなどの38cm、40.6cm(15インチ、16インチ)クラスの砲の搭載艦に匹敵する装甲と火力を持つこととなり、前級の「バイエルン級」にはなかった高速航行力を持つ。

結局、第二次世界大戦の勃発によりビスマルク級に続くZ計画戦艦群は建造されなかったため、本級は、第二次世界大戦に参加したドイツ水上艦の中では最大かつ最強となった。戦艦は後世に紹介される際にも巨大さ、強さ、先進性などが誇示されることが多いが、本級もその例に漏れず巨大さ・強さが強調されることが多い。ただし、第二次世界大戦中には本級を上回る排水量の戦艦も存在しており、本級の大きさを形容するときには「当時のドイツ水上艦の中で最大の」「建造当時では最大の」といった修飾をつけなければならない。

参考:列強最大戦艦排水量[3]

艦級基準排水量常備排水量満載排水量
大和型戦艦65,000トン69,100トン72,809トン
アイオワ級戦艦48,500トン52,000トン57,450トン
ヴァンガード (戦艦)44,500トン48,000トン51,420トン
リシュリュー級戦艦38,500トン43,293トン47,548トン
リットリオ級戦艦41,167トン43,624トン45,752トン
ビスマルク級戦艦41,700トン45,172トン50,900トン

詳細

酒井三千生や三菱重工の技師であった阿部安雄などは、本級に対して特に否定的な評価を行ってはいなかった[4]。しかし、大戦当時は連合国に脅威と見られていた本級も、日本国外では1970年代には否定的評価が出されるようになっていた[5]。日本において否定的な記述はジョン・ジョーダンの手になる『戦艦』が日本で訳出された際[6]に防御思想と設計への言及で登場している。その後海外文献の渉猟を行っている研究家の一人である大塚好古が取り上げていく。その後、『世界の艦船』が2006年2月号にて編集部の手になる特集「列強最後の戦艦を比較する」で同様の批判的見解を打ち出した。
計画経緯

直接のきっかけは上記の英独海軍協定であるが、ドイツ海軍は1932年にはワシントン海軍軍縮条約に準じた35,000トン戦艦として検討をはじめた。その後、ヒトラーの政権奪取、ロンドン条約の動向、英仏との関係などの国際情勢に合わせて構想を変化させていき、設計は1935年に完了した[7]。ビスマルク建造については1935年11月16日に契約された[8]

建造費用はビスマルクが1億9860万ライヒスマルク、ティルピッツが1億8160万ライヒスマルクであり、この価格はシャルンホルスト級の12?13%の増加で済んだ。

想定された戦場はバルト海北海であり、視界が利かないことを重視し近距離戦闘を主眼に置いたと考えられている[9]。一方、ドイツ海軍が1940年に作成した内部資料ではこれと異なる設計思想が詳述されている。それについては、「防御」の項で述べる。
建造施設進水式の「ビスマルク」。

ビスマルクの建造を担当したブローム・ウント・フォス社はハンブルクにあった造船所の第9船台にて進水までの工事を行った。同造船所には幾つかの大規模な浮きドックがあり、ビスマルクも1940年に入渠している[10]。なお、荒谷俊司によれば、同造船所内の『Hamburg Schliker Verfe』所有のElbe17乾ドックは、ドイツ海軍の手により建設された巨大ドックであり、当時欧州最大を称した。このドックは底部で幅60m、長さ約310mの大きさを持ち、計算上15万トンクラスの艦船の建造が可能であった。浮力にドック自体の重力で対抗し構造物としてのバランスをとる半重力式を採用したため、底版コンクリートは6.5mの厚みを持ち、側壁コンクリート厚は2mもあった。[11]
艦容竣工当時の「ビスマルク」の写真。

外観は低く、デザインの重厚さでは定評のあるドイツらしく、かなりどっしりとした安定感をかもし出している[12]。船体は平甲板型で、艦首から新設計の「1934年型38cm(47口径)砲」を装備した1、2番連装主砲塔を背負い式に2基搭載、箱型の航海艦橋上の司令塔天蓋部には7m副測距儀が載り、航海艦橋の両脇には耳のように船橋(ブリッジ)を全幅一杯に張り出している。


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