ビスマルク号を撃沈せよ!
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ビスマルク号を撃沈せよ!
Sink the Bismarck!
監督
ルイス・ギルバート
脚本エドムンド・H・ノース
原作C・S・フォレスター
『決断 - ビスマルク号最後の9日間』
製作ジョン・ブラボーン
出演者ケネス・モア
カール・メーナー
ダナ・ウィンター
音楽クリフトン・パーカー
撮影クリストファー・チャリス
編集ピーター・ハント
配給20世紀フォックス
公開 1960年2月11日
1960年6月11日
上映時間97分
製作国 イギリス
アメリカ合衆国
言語英語
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『ビスマルク号を撃沈せよ!』(ビスマルクごうをげきちんせよ、原題:Sink the Bismarck!)は、C・S・フォレスターの著書『決断 - ビスマルク号最後の9日間(The Last Nine Days of the Bismarck)』を原作とする1960年イギリスアメリカ合衆国合作のモノクロの戦争映画

第二次世界大戦における有名なドイツ戦艦ビスマルクを発見し、撃沈したイギリス海軍の実話に基づく。主演はケネス・モアとダナ・ウィンター、監督はルイス・ギルバートジョニー・ホートンの歌「ビスマルク号を撃沈せよ("Sink the Bismarck")」はこの映画に着想を得て作られた。映画は、製作時の1960年には知られていなかったいくつかの歴史的誤謬を含んでいる。
あらすじ

映画は1939年ドイツ海軍最大最強の戦艦「ビスマルク」が進水しようとしている実際の映像で開始される。ハンブルクで行われた盛大な式典にはアドルフ・ヒトラーも出席していた。まもなく完成する巨大な船体の進水は、ドイツの海軍力の新しい時代の始まりとみなされた。

2年後の1941年、イギリスがドイツとの戦いを継続するために必要不可欠である船団輸送ルートは、Uボートや水上艦の通商破壊戦によって危機に瀕していた。5月、イギリス情報部はビスマルクと重巡洋艦プリンツ・オイゲン」が新たな通商破壊戦のために北大西洋に進出しようとしている情報をつかむ。ビスマルクを捕捉する任務を与えられた作戦部長ジョン・シェパード大佐は、妻をドイツの空襲で失い、またギュンター・リュッチェンス提督の率いるドイツ艦隊に自らの艦を沈められたことに深く傷つき、強い敵意を抱いていた。新しい任務に就いてすぐシェパードはビスマルクに座乗している指揮官がリュッチェンスであることを知った。ナチス・ドイツ海軍との戦いの経験と、リュッチェンスの思考方法への理解から、シェパードはビスマルクの行動を予測することができた。シェパードは当初自らの部下に厳しく当たるが、やがて助手である婦人部隊士官のアン・デイヴィスの冷静さと対ビスマルク作戦遂行の能力を信頼するようになった。

一方ビスマルク艦上のリュッチェンスも、シェパードと同じく、強い敵意を相手に対して抱いていた。ドイツが第一次世界大戦に負けた後、リュッチェンスは自らの努力が報われていないと感じており、忘れられた存在となっていると考えていた。そして自らの不遇とドイツ国家のそれを関連づけて考えていた。リュッチェンスは部下であるビスマルク艦長のエルンスト・リンデマンに、この戦争が終わった時には彼とリンデマン、そしてドイツの名が偉大なものとして記憶されるだろうと言うのだった。

この映画は、デンマーク海峡におけるドイツ艦隊とイギリス艦隊の戦闘とそこにおけるイギリスの巡洋戦艦フッド」の轟沈、その後のビスマルク追撃戦、そしてビスマルクがついに数隻のイギリス軍艦に沈められるまでの経緯を描く。リュッチェンスは自らの絶望的な状況を認めようとせず、砲弾が彼を吹き飛ばす直前まで、ドイツの軍隊が救出にやってくるという妄想をリンデマンに主張する。

ビスマルクを沈めた後、シェパードは一連の経験によってようやく感情を取り戻し、生き返ったようだった。彼とデイヴィスは(任務の範囲内ではあるが)親しい言葉を交わすようになり、シェパードは彼女に個人秘書になってくれるよう頼むのだった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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