ビジャレアルCF
原語表記Vila-real Club de Futbol, S.A.D.
愛称El Submarino Amarillo(Yellow Submarine)
クラブカラー黄
創設年1923年
所属リーグラ・リーガ
所属ディビジョン1部(2020?21)
ホームタウン バレンシア州ヴィラ=レアル
ホームスタジアムエスタディオ・デ・ラ・セラミカ
収容人数24,890[1]
代表者 フェルナンド・ロイグ
監督 ウナイ・エメリ
公式サイト ⇒公式サイト
ビジャレアル・クルブ・デ・フトボル(スペイン語: Villarreal Club de Futbol, S.A.D., バレンシア語: Vila-real Club de Futbol, S.A.D.)は、バレンシア州カステリョン県ヴィラ=レアルに本拠地を置くスペインのサッカークラブチーム。プリメーラ・ディビシオンに属している。1923年に創設され、24,890人収容のエスタディオ・デ・ラ・セラミカをホームスタジアムとしている。
ビジャレアルとはスペイン語で「王の町」という意味であり、その名の通りチームのエンブレムには王冠があしらわれている。ただし、この場合の王とはアラゴン王国の王を指し、現在のスペイン王室ではない。そのため王冠のデザインも他のレアルを冠するチームのものとは異なっている[2]。しばしば、成功したスモールクラブの例として引き合いに出される[3]。目次 1923年3月10日、すべてのスポーツ、特にサッカーを奨励するためにビジャレアルCD(Villarreal CD)が創設された。初代会長は化学者のホセ・カルドゥチュ・アルメーラであり、その補佐として銀行員のホセ・マルティネス・アギラールが、会計として行政官のカルロス・カタラジュー・ホルダが就任した。スタジアムは月額60ペセタ(約0.36ユーロ)で借用し、チケット金額は成人男性0.5ペセタ(約0.005ユーロ)、子ども0.25ペセタに設定された。成人女性は自由な入場が認められた[4]。同年6月17日、ビジャレアルのスタジアムが竣工し、CDカステリョン対セルバンテス戦がスタジアムの初試合となった。同年10月21日、ビジャレアルはカステリョンと初試合を行った[4]。黎明期のユニフォームは白色のシャツと黒色のパンツであり、クラブ初のバッジの色を反映している[5]。1925年にはスタジアムがエル・マドリガルと命名された。 1929年にスペインサッカー連盟が全国リーグ(リーガ・エスパニョーラ)を発足させ、プリメーラ・ディビシオン(1部)を頂点にするピラミッド型のリーグシステムが構成されてからは、ビジャレアルは地域リーグに参戦した。1934-35シーズン、勝利クラブが全国規模のセグンダ・ディビシオン(2部)に昇格する可能性があった戦いで、ビジャレアルはカルタヘナCF 1955-56シーズンに優勝して全国リーグのテルセーラ・ディビシオン(3部)に昇格する前には、地域リーグの最上位ディビジョンで7位となり、二度4位となった。1960-61シーズンのテルセーラ・ディビシオンは14位で地域リーグ降格となった[4]。1966年夏に現在のバッジが採用されると[5]、1966-67シーズンには地域リーグで優勝してテルセーラ・ディビシオンに復帰し、1970年にはクラブ史上初めてセグンダ・ディビシオンに到達した[4]。セグンダ・ディビシオンへの昇格初年度はなんとか降格を回避したものの、1971-72シーズン終了後にテルセーラ・ディビシオン降格となった。1975-76シーズン終了後、テルセーラ・ディビシオンから地域リーグに降格したが、翌シーズン終了後には再びテルセーラ・ディビシオンに昇格した。 1986-87シーズン終了後にはセグンダ・ディビシオンB(現3部[注釈 1])に昇格したが、1990年には18位でテルセーラ・ディビシオン降格となった。
1 歴史
1.1 黎明期
1.2 1929?1998
1.3 プリメーラ初挑戦
1.4 欧州カップ戦の常連として
1.5 セグンダ降格・1年で昇格
2 クラブカラーとユニフォーム
3 ニックネームとマスコット
4 ライバル
5 記録
6 タイトル
6.1 国内タイトル
6.2 国際タイトル
7 成績
7.1 近年の成績
7.2 過去の成績
8 欧州の成績
9 現所属メンバー
9.1 リザーブチーム
9.2 ローン移籍
10 歴代監督
11 歴代所属選手
11.1 有名選手
12 関連項目
13 脚注
13.1 注釈
13.2 脚注
14 外部リンク
歴史 エル・マドリガル
黎明期
1929?1998