ビショフスハイム_(マインシュピッツェ)
[Wikipedia|▼Menu]

この項目では、ヘッセン州南部グロース=ゲーラウ郡の町村について説明しています。その他の用法については「ビショフスハイム」をご覧ください。

紋章地図
(郡の位置)

基本情報
連邦州:ヘッセン州
行政管区:ダルムシュタット行政管区
郡:グロース=ゲーラウ郡
緯度経度:北緯49度58分
東経08度21分
標高:海抜 86 m
面積:9.03 km2
人口:

13,293人(2016年12月31日現在) [1]
人口密度:1,472 人/km2
郵便番号:65474
市外局番:06144
ナンバープレート:GG
自治体コード:06 4 33 002
行政庁舎の住所:Schulstrase 13
65474 Bischofsheim
ウェブサイト: ⇒www.bischofsheim.de
首長:インゴ・カルヴァイト (Ingo Kalweit)
州内の位置

ビショフスハイム (Bischofsheim) は、ドイツ連邦共和国ヘッセン州グロース=ゲーラウ郡に属す町村(以下、本項では便宜上「町」と記述する)である。ビショフスハイムは 1930年から1945年まで、現在はラインラント=プファルツ州の州都であるマインツの市区であった。


目次

1 地理

1.1 位置

1.2 隣接する市町村

1.3 自治体の構成


2 歴史

2.1 人口推移


3 宗教

3.1 キリスト教

3.2 ユダヤ教

3.3 イスラム教


4 行政

4.1 議会

4.2 首長

4.3 紋章

4.4 姉妹自治体


5 文化と見所

6 経済と社会資本

6.1 交通

6.1.1 鉄道

6.1.2 道路


6.2 教育


7 表記

8 引用

9 外部リンク


地理
位置

ビショフスハイムは、マイン川ライン川に注ぐ河口の南側、いわゆるマインシュピッツェ地方に位置する。
隣接する市町村

ビショフスハイムは、北はマイン川を挟んでホーホハイム・アム・マインマイン=タウヌス郡)、東はリュッセルスハイム・アム・マイン、南と西はギンスハイム=グスタフスブルク(ともにグロース=ゲーラウ郡)と境を接している。
自治体の構成

ビショフスハイムの町は単独の地区から成る。鉄道やアウトバーンで隔てられた2つの地域「アン・デン・シュポルトシュテッテン」と「ドクトル・ハンス・ベックラー・ジートルング」もビショフスハイムに属す。

ビショフスハイム町内のマインツ=ビショフスハイム駅は、操車場のある乗換駅である。この駅名は、かつてこの町が行政上マインツ市に属していたことに由来する。さらにこの町へはアウトバーン A60号線と A671号線で直接アクセスできる。
歴史

町の名前は司教 (= Bischof) とは関係がなく、マイン川の蛇行部に位置する事に由来する(bieschen = biegen = 曲がる)[2]

ビショフスハイムは1200年に Bissescheim circa Menum として初めて史料に記述されている。その後数世紀の間に様々な表記で記録されている: Biscovesheim(1211年)、Bischophisheim(1268年)、Bisschabesheim(1319年)、Bischoffesheim (1394), Biffesheim(1529年)、Mainbischoffsheimb(1659年)といった具合である。所有関係に関するできごとを以下に列記する[3]。1278年 リーネック伯からレーエンを任されていたフィリップ・フォン・ホーエンフェルスとヨハン・フォン・ホーエンフェルスの兄弟がビショフスハイムの全資産をマインツ聖堂参事会に売却した。1288年 エストリヒの教会 Vikar ハインリヒがビショフスハイムの資産をマインツの聖堂参事会に遺贈した。1298年 ビショフスハイムの土地がマインツのアグネス修道院およびマリエングレーデン教団に寄贈された。1579年 マインツ大司教の農地がヘッセン=ダルムシュタット方伯ゲオルク1世の所有となった。

ヘッセン方伯ゲオルク1世は初代ヘッセン=ダルムシュタット方伯であり、父親のヘッセン方伯フィリップ1世からリュッセルスハイム、ドルンベルク、ダルムシュタット、リヒテンベルク、ラインハイム、ツヴィンゲンベルクの 6つのアムトを相続した。ビショフスハイムは1820年までアムト・リュッセルスハイムに属した。1821年からは、1806年のナポレオン撤退後に創設されたヘッセン大公国のプロヴィンツ・シュタルケンブルクのランツラートベツィルク・ドルンベルクに属した。その後は、1832年から1848年: ヘッセン大公国の郡制度採用に伴いグロース=ゲーラウ郡1848年から1852年: プロヴィンツ・シュタルケンブルクをレギールンクスベツィルクに分割するのに伴い、レギールンクスベツィルク・ダルムシュタット1852年から1930年: プロヴィンツ・シュタルケンブルクの郡再興に伴い、グロース=ゲーラウ郡1930年から1945年: ビショフスハイムはマインツの市区となった1945年から: グロース=ゲーラウ郡。第二次世界大戦後ヘッセン州の創設により、マインツのライン川左岸側市区はヴィースバーデンに編入されるかビショフスハイムのように独立した自治体となった。

ビショフスハイムは、一般に「駅の町」と呼ばれる。ヘッセン邦有ルートヴィヒ鉄道がダルムシュタットから当時はヘッセン=ダルムシュタット方伯領であったマインツまで延伸されたことにより、この町は1865年以後急速に発展した。ルートヴィヒ鉄道建設のための多くの労働者が家族と共にビショフスハイムに居を定めた。19世紀から20世紀に移る頃から1960年代までマインツ=ビショフスハイム駅は南西ドイツ最大の貨物駅の一つに発展した。しかし1970年代にはこうした状況は失われていった。

ビショフスハイムは1930年から1945年までマインツの市区であった。この町は、第二次世界大戦中に甚大な被害を受けた。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:35 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef