ヴィトー・ベウフォート
2020年
本名ヴィトー・ヴィエイラ・ベルフォート
(Vitor Vieira Belfort)
生年月日 (1977-04-01) 1977年4月1日(47歳)
出身地 ブラジル
リオデジャネイロ州リオデジャネイロ
通称ザ・フェノム
(The Phenom)
居住 アメリカ合衆国
フロリダ州ボカラトン
国籍 ブラジル
アメリカ合衆国
(二重国籍)
身長183 cm (6 ft 0 in)
体重84 kg (185 lb)
階級ヘビー級
→ライトヘビー級
→ミドル級
チームカーウソン・グレイシー柔術
→ブラジリアン・トップチーム
→ブラジル・ファイトクラブ
→フリーランス
→ブラック・ハウス
→エクストリーム・クートゥア
→サンフォードMMA/RVCAトレーニング・センター
ランクブラジリアン柔術 (黒帯三段)
柔道 (黒帯)
松濤館空手 (紫帯)
現役期間1996年 -
総合格闘技記録
試合数41
勝利26
ノックアウト18
タップアウト3
判定5
敗戦14
ノックアウト7
タップアウト2
判定5
無効試合1
プロボクシング記録
試合数2
勝利2
ノックアウト1
敗戦0
その他
配偶者ジョアナ・プラド
著名な弟子セザール・フェレイラ
ウェブサイトhttps://belfortlifestyle.com/
⇒総合格闘技記録 - SHERDOG
⇒ボクシング記録 - BoxRec
獲得メダル
ブラジル
男子 グラップリング
アブダビコンバット
銅2001 アブダビ無差別級
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ヴィトー・ベウフォート(Vitor Belfort、1977年4月1日 - )は、ブラジルの元総合格闘家。リオデジャネイロ州出身。アメリカ合衆国フロリダ州ボカラトン在住。サンフォードMMA所属。元UFC世界ライトヘビー級王者。元Cage Rage世界ライトヘビー級王者。
1990年代から2010年代まで、約20年に渡って総合格闘技の第一線で活躍し、ブラジルにおける人気選手の一人であった。当時19歳かつキャリア3戦目で総合格闘技のメジャー団体「UFC」のヘビー級トーナメントを制し、2004年にはUFCライトヘビー級王座を獲得した。 リオデジャネイロ州でフランス系ブラジル人の父親とギリシャ系ブラジル人の母親との間に生まれた。カーウソン・グレイシーの下でブラジリアン柔術を始め、カーウソンが養子縁組を申し込んだほどの才能があったという[1]。 1997年2月7日、19歳でUFC初参戦となったUFC 12でヘビー級トーナメントを制したことで、「ザ・フェノム」(天才)のニックネームで呼ばれることとなった。 1997年5月30日、UFC 13でタンク・アボットと対戦し、スタンドでアボットを殴り倒すとグラウンドのパウンド連打で開始52秒でTKO勝ち。 1997年10月17日、UFC 15のUFCヘビー級王座挑戦者決定戦でランディ・クートゥアと対戦し、クートゥアのクリンチテクニックにボクシングを封じられTKO負け。 1998年10月16日、UFC Brazilでヴァンダレイ・シウバと対戦し、前進しながらのスタンドパンチ連打で開始44秒でTKO勝ち。 1999年4月29日、PRIDE初参戦となったPRIDE.5で桜庭和志と対戦し、判定負け。しかし、その後ギルバート・アイブルやヒース・ヒーリングといった強豪を撃破。 2001年、所属していたブラジリアン・トップチームをトラブルで離脱した[2]。 2002年6月22日、ライトヘビー級に転向し、UFC復帰戦となったUFC 37.5でチャック・リデルに判定負け。 2004年1月31日、UFC 46のUFC世界ライトヘビー級タイトルマッチでランディ・クートゥアと対戦し、開始49秒でクートゥアが目の上をカットして、レフェリーストップによるTKO勝ちを収め王座獲得に成功した。再戦となった8月21日のUFC 49でクートゥアに3R終了時ドクターストップでTKO負け。リベンジを許し、王座陥落した。 2005年2月5日、UFC 51でティト・オーティズに判定負け。UFC契約最後の試合であったが再契約をせずUFCを離脱した。 2005年4月23日、PRIDE GRANDPRIX 2005 開幕戦のミドル級(-93kg)グランプリ1回戦でアリスター・オーフレイムと対戦し、フロントチョークで一本負け。 2006年4月11日、プロボクシングデビューを果たし、KO勝利で初陣を飾った。 2006年10月21日、アメリカで開催されたPRIDE.32でダン・ヘンダーソンと対戦し、0-3の判定負け。試合後の薬物検査で4-ヒドロキシテストステロンの陽性反応が検出され、ネバダ州アスレチック・コミッションから9か月間の出場停止処分と1万ドルの罰金を受けた。 2007年9月22日、Cage Rage世界ライトヘビー級タイトルマッチでジェームス・ジキックと対戦し、3-0の判定勝ちを収め王座獲得に成功した。骨折した状態で試合を行っていたため、10月に骨折の手術を受けた。 2008年7月19日、ミドル級に転向しAffliction旗揚げ戦「Affliction: Banned」に出場。テリー・マーティンと対戦し、2ラウンドにパンチラッシュでKO勝ちを収めた。 2009年1月24日、Affliction: Day of Reckoningでマット・リンドランドと対戦し、パウンドでKO勝ちを収めた。 2009年8月1日に開催予定であったAffliction: Trilogyに出場予定であったが、大会中止となったため、7月31日にUFCとの再々契約が発表された。 2009年9月19日、UFC 103で元UFC世界ミドル級王者のリッチ・フランクリンと対戦し、1Rにかすめた左フックでダウンを奪い、パウンドでTKO勝ち。ノックアウト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。 2011年2月5日、UFC 126のUFC世界ミドル級タイトルマッチで王者アンデウソン・シウバに挑戦するも、1R中盤に左前蹴りでダウンを奪われ追撃のパウンドでKO負けを喫し王座獲得に失敗した[3]。
来歴
UFC
PRIDE
Affliction
UFC復帰リッチ・フランクリン(右)と対戦するベウフォート(左)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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