カナダのオンタリオ州トロントに位置するトロント大学連合Victoria University「ビクトリア大学 (トロント大学)
(英語版)」とは異なります。ヴィクトリア大学(英: University of Victoria、通称:UVic)[1]は、カナダ、ブリティッシュ・コロンビア州が設置した公立大学である。学生数約22,000人の大規模総合大学である。
バンクーバー島の南端、人口約33万人の州都ビクトリアに位置し、年間を通じた温暖な気候と公園のような美しいキャンパスで有名。大学の規模や美しい環境、コーオプ教育[2]プログラムが学生の志望動機にあげられている。ビクトリア大学のコープ教育プログラムは、カナダで3番目の規模である。
2018年時点で40人以上のカナダ王立協会会員を輩出している。
日本の提携校には東京大学、同志社大学、東京海洋大学などがある。[3] 1963年7月1日にブリティッシュコロンビア大学から独立し、ビクトリア大学として単独の大学機関となる。それ以前は、ビクトリアカレッジ
歴史
ビクトリアカレッジ (1903-1963)
カレッジ誕生と高等教育停止 (Victoria College) の名称で、モントリオールのマギル大学付属の分校として、人文と科学分野の1-2年次だけを教えていた。その当時は、ビクトリア教育委員会の管理のもと、ビクトリア高校 (Victoria High School) と施設を共有していた。両校の学長は、1903年-1908年のE・B・ポールと1908年-1915年のS・J・ウィリアムスが勤めた。
1908年の州議会の決定に基づき、ブリティッシュコロンビア大学(以後UBC)が1915年に開学され、ビクトリアカレッジは高等教育の実施を停止することとなった。
クレイグダロック城クレイグダロック城
1920年、地元の要望により、ビクトリアカレッジはUBCの付属校となった。ビクトリア教育委員会の管理下ではあったが、ビクトリア高校とはキャンパスを完全に分離し、1921年にクレイグダロック城 (Craigdarroch Castle) に移動した。その後20年、再登板したポール学長とP・H・エリオット学長の努力もあり、学際を網羅した1-2年次の教育を行うという評判を得ていった。その当時に学生だったピエール・バートン (Pierre Berton) は、学生新聞「The Microscope」の人気漫画家兼編集者だった。バートンは後に、ノンフィクション作家で、カナダ史やカナディアーナ (Canadiana) を扱った。ジャーナリスト、テレビのパーソナリティとしても活躍した。 1945年から1963年は、J.M. Ewing学長とW.H. Hickman学長の下、2年生カレッジから総合大学へと成長する移行期間となった。この間の運営は、UBC、グレータービクトリア教育委員会
大学設置へ
このころ、さまざまな変更があった。1946年、戦後の再編の中、ビクトリアカレッジは、クレイダーロック城から、州立教員養成学校のランズダウンキャンパスに移動した(現在のカモウソン・カレッジ (Camosun College) のランズダウンキャンパス)。長年の歴史を持ち、高い評価を受けてきた州立教員養成学校は、1956年に教育学部として、ビクトリア・カレッジに加わる。その後、カナダ国防省 (Department of National Defence) とハドソン湾会社の協力により、284エーカー(1.1km2)(現在385エーカー(1.6km2))の土地をゴードンヘッドに取得した。1956年以降は学問の面でも拡張を始め、UBCの付属校としてではあるが、初めての学位取得者を1961年に送り出した。 大学の自治権獲得に向け、1963年のユニバーシティー・アクト(州法の大学設置法)では以下の内容が確定した。
ビクトリア大学誕生 (1963-)
運営権は大学総長(Chancellor)が保有すること。大学総長は、大学評議会(Convocation of the University)と理事会(Board of Governors)、理事会から指名された学長から投票によって選ばれる。