ビアトリクス・ポター
Beatrix Potter
ビアトリクス・ポター(1912年に撮影)
誕生1866年7月28日
死没1943年12月22日
職業絵本作家
国籍 イギリス
ジャンル児童文学
代表作ピーターラビットのおはなし
ウィキポータル 文学
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ヘレン・ビアトリクス・ポター(英: Helen Beatrix Potter [?bi??tr?ks ?p?t?] 、1866年7月28日 - 1943年12月22日)は、ピーターラビットの生みの親として知られるイギリスの絵本作家。ヴィクトリア時代の上位中産階級に生まれ、遊び相手も少ない孤独な環境で育つ。教育は家庭で行われ生涯学校に通うことはなかった。幼いころから絵を描くことを好み、多くのスケッチを残している。さまざまな動物をペットとして飼育し、キノコにも興味を持ち学会に論文を提出したこともあった。絵本作家としての原点は、1902年に出版された『ピーターラビットのおはなし』[注釈 1]で、これは元家庭教師の子どもに描いて送った手紙が元になっている。39歳で婚約するが、わずか1か月後に婚約相手が死去する。その後、たびたび絵本にも登場する湖水地方において念願の農場を手に入れ、47歳で結婚した。結婚後は創作活動も少なくなり農場経営と自然保護に努めた。死後、遺灰はヒル・トップに散骨されている。
創作活動の期間は十数年と長いものではなかったが、ピーターラビットの絵本シリーズは児童文学の古典として、世界各国で親しまれている。持ち前の観察力により生き生きとした動物を描き、秀れた絵と文で構成された作品の裏側にはポターの束縛と抑圧からの解放、自由への憧れが込められていると見るものもいる。自身のプライバシーを守ることに厳しく、散骨場所は夫にさえ教えなかったため不明となっている。関連商品の販売を提案、積極的な著作権の管理など実際家としての一面も持つ。湖水地方特有の羊、ハードウィック種の保護、育成に尽力し、羊の品評会では数々の賞を獲得するなど畜産家としても成功を収めた。生前から設立されて間もないナショナル・トラストの活動を支援しており、遺言によりナショナル・トラストに寄付された土地は4000エーカー以上であった。
生涯母親のヘレンと幼い頃のビアトリクス。父親のルパートによる撮影。
誕生(英語版)、ボルトン・ガーデンズ2番地において、父ルパートと母ヘレンの長女として生まれた[1]。当時は産業革命が起こり、イギリスは世界の工場と呼ばれた時代であった[2]。ビアトリクスは、この時代に台頭してきた上位中産階級の裕福な家庭に生まれている[2]。父方の祖父であるエドマンドは世界最大のキャラコ捺染工場の経営者であり、国会議員にもなった人物であった[3]。母方の家系も木綿で財を成しており、ビアトリクスが生まれたころは5人の使用人を雇っており、さらに幼いビアトリクスのために新しく乳母(ナース)を雇い入れている[4]。