ヒロシ
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この項目では、お笑いタレントについて説明しています。その他の用法については「ひろし」をご覧ください。

「斉藤健一」はこの項目へ転送されています。「斎藤研一」あるいは「斎藤顕一」とは別人です。
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出典検索?: "ヒロシ" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2013年2月)

ヒロシ
本名齊藤 健一(さいとう けんいち)
生年月日 (1972-01-23) 1972年1月23日(52歳)
出身地 日本熊本県荒尾市
血液型O型
身長172 cm
言語日本語
方言共通語熊本弁
最終学歴 日本
九州産業大学商学部商学科卒業
出身福岡吉本
コンビ名ベイビーズ(解散
相方友納 一彦
芸風漫談
事務所吉本興業
サンミュージックプロダクション
有限会社ヒロシ・コーポレーション
活動時期1995年 -
同期バカリズム
おぎやはぎ
ガレッジセール
スパローズ
佐藤哲夫パンクブーブー
現在の代表番組テレビ
ヒロシのぼっちキャンプ』(BS-TBS
ヒロシのひとりキャンプのすすめ』(熊本朝日放送
過去の代表番組テレビ
迷宮グルメ 異郷の駅前食堂』(BS朝日
他の活動タレント俳優YouTuber実業家
配偶者未婚
公式サイトヒロシ・コーポレーション
受賞歴
第1回お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャル優勝(2005年)
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ヒロシ
YouTube
チャンネル

ヒロシちゃんねる

ヒロシの自由時間

日刊ヒロシちゃんねる

活動期間2015年 -
ジャンルアウトドア
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メイン 約114万人[1]

サブ 約3万人

日刊 約7.8万人

総再生回数

メイン 1億2231万回

サブ 191万回

日刊 805万回

事務所(MCN)(有)ヒロシ・コーポレーション
代表取締役 齊藤 健一
YouTube Creator Awards

登録者100,000人メイン 2019年
登録者1,000,000人メイン 2020年

チャンネル登録者数・総再生回数は
000000002022-07-07-00002022年7月7日時点。
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ヒロシ(1972年1月23日[注釈 1] - )は、日本お笑いタレント漫談師俳優ベーシストYouTuber実業家。本名、齊藤 健一(さいとう けんいち)。ヒロシ・コーポレーション所属・代表。
人物

熊本県荒尾市出身。

九州産業大学商学部商学科卒業。

身長172cm。

血液型O型

趣味はキャンプ、キャンプグッズ集め、旅行、釣り家庭菜園熱帯魚飼育、ベースギター演奏(パンクロックが好き)。

小型船舶操縦免許取得。

愛車はスズキ・ジムニーカワサキ・250SSマッハT

喫煙者。吸っている銘柄はセブンスター

酒は飲めない。※50歳を超えて酒を覚えるのもいいかも(本人談)。

特技は「あるんだったら、もっとテレビに出てるよね」(本人談)。

来歴
生い立ちからデビューまで

福岡県大牟田市で生まれ、熊本県荒尾市で育つ[3]。実家は万田坑のそばで、父は炭鉱マンだった。本名の「健一」は「健康第一」という願いを込めてつけられたもので、弟・康次(診療放射線技師をしている)と一字ずつとって合わせると「健康」となる。ヒロシ曰く、「同じ熊本とは思えない」と言われるほどの地域に住んでいた[4]。炭鉱の街の炭鉱住宅に住み、みな生活レベルが同じだったため、貧富の差を感じたことが無かったが、中学生の時、神奈川県に住むいとこが遊びに来た際に、「汚いから」という理由でヒロシの家に泊まらずホテルを利用したことから、初めて自分の家が貧しいということを知った[5]1981年の秋、ヒロシが小学4年生の時、父親が仕事中の落盤事故で左ももから下を失った。炭鉱の落盤事故は珍しいことではなく、近所を歩けば片足を失った炭鉱マンと頻繁にすれ違っていたヒロシにとって見慣れていたが、父親が左脚を失った現実はなかなか受け入れることが出来なかったと語っている[6]。父はその後、炭鉱の保健課の事務職として働いていた。父は読書家で教養のある人物だった。勉強に関しては厳しく、ヒロシが宿題で分からないところがあると叱られたり、家の外に締め出されることもあった。ヒロシ自身も、父が勉強に厳しかった理由は自分のように危険な仕事ではなく、大学を出て安定した企業でサラリーマン生活を送るという道を息子に歩ませたかったのではないかと考えている。反面、父は身体を使う仕事に誇りを持っており、ヒロシが高校生の時に、飲食店の皿洗いのアルバイトをすると激怒して辞めさせたが、土木作業や駐車場整理のアルバイトは応援してくれた[7]

ヒロシが小学生の頃、漫才ブームの真っただ中で、特に好きだったのがツービート漫才だった。「芸人」という職業に衝撃を受け、自然と憧れの気持ちが強くなったのもこの頃だった[8]。小学生の時、家族に頼み込んでなんばグランド花月に行き、初めて生のお笑いライブを観劇。その中でひときわ面白かったのが、全国区になる前のダウンタウンで、劇場の外で待つ多くの女性ファンを見て、「お笑いで頑張ればこんなにモテるんだな」と衝撃を受けた[9]。小学生時代のヒロシは暗くいじめられっ子で、担任教師にさえ嫌われていた[8]。中学は地元の荒尾市立荒尾第三中学校に進学。中学三年生の時の三者面談で、初めて「芸人になりたい」と打ち明けたが、教師に軽くあしらわれた[10]

熊本県立荒尾高等学校卒業後、指定校推薦で九州産業大学商学部商学科に進学。大学一年生の時、ヒロシは男友達2人を誘ってトリオ「貴族」を結成し、吉本興業が主催するお笑いオーディション番組「激辛!?お笑いめんたい子」(テレビ西日本)に応募[11]テレビ熊本で行われた熊本予選に参加するが不合格[12]。折しも大卒のため就職氷河期の始まりの時期と重なり、就職活動で大阪府福岡県などの企業を数社受けたが全滅。就職が決まらないまま大学を卒業し、実家に帰りしばらくダラダラとした生活を送る。その後見かねた両親が知人の伝手で保険会社に就職させ損害保険の営業の仕事に就くも、極度に人見知りの性格であったため、営業の仕事が務まらずサラリーマン生活自体不向きだと考えるようになり、入社から半年後、身内を一通り保険に加入させたところで退職した[13]。23歳のとき、再び「激辛!?お笑いめんたい子」のオーディションに挑戦。前回一緒に出場した男友達2人には断られた為、1人で出場し、中森明菜近藤真彦物真似を披露。結果は不合格だったが、福岡吉本のスタッフが不合格者の中からどうしてもお笑い芸人になりたい人を募った。前回出場したときも同じような声かけはあったが、その時は勇気がなく手を挙げられなかった。しかし、2度目の挑戦のときは会社員として挫折を経験していたため、ヒロシも「もう逃げ道はない」という強い気持ちでそのスタッフに連絡した[14]
お笑い芸人
1995年 - 1998年:福岡吉本時代

しばらくするとナインティナインが出演するイベントに呼ばれ、芸人になるきっかけが出来たと喜んでいたが、ヒロシがやらされた仕事はチケットもぎりであった。その後も、ヒロシは雑用係としてイベント会場に呼ばれる日々が続いた。不安になっていたある日、突然「ライブをやるからネタを作ってこい」と言われた。そのとき残っていたのは十数組だけで、後の「福岡吉本6期生」として同期となるメンバーであった。その中には、パンクブーブー佐藤哲夫スパローズなどがいた。ネタ見せは福岡吉本の所長がいる中で行われた。ヒロシ自身もネタの詳細は覚えていないが、下品な下ネタを含むネタを披露したところ、所長に激怒されスリッパを投げつけられた[14]。ネタを酷評されたことからピン芸人としてやっていくことに不安を感じ、元々漫才師を目指していたこともあり、コンビを組みたいという気持ちが強くなっていった。早速、同期に声をかけコンビを組むが、当時思い切ったことをやれば売れると勘違いしていたヒロシは、その相方に拒絶され、舞台に1度も上がることなく僅か1か月で解散。その後は3人組でコントをやり、そこそこ評判が良かったものの、短期間で解散となった。そしてツッコミが上手そうだった友納一彦を誘い、「ベイビーズ」を結成し、落ち着いた。ヒロシがあがり症で大きな声を出したい気持ちが強かったため、ベイビーズ時代はキレ芸をしていた。ライブではそこそこウケるものの一向に売れる気配がなく、事務所からの評価も最悪だったことから、友納と多くの芸能プロダクションがあり、新人発掘のライブが頻繁に行われている東京で暮らした方が良いのではないかと考えるようになった。そこで、3年間所属した福岡吉本を辞め、26歳の時に上京。当時は芸人仲間6人(その中にパラシュート部隊の矢野ぺぺもいた)と中野区の6畳一間のアパートで共同生活を送っていた[15]
1999年 - 2001年:ホスト時代

ベイビーズ時代のヒロシは、「熊本弁の認知度を上げたい」という気持ちと、ヒロシや相方も日常生活がままならないほど方言訛りがひどく、標準語が話せなかったため熊本弁でキレ芸を展開していく。ライブ後のアンケートではいつも「何を言っているのかさっぱり分からない」と不評だった。最初は「観客が理解するようになればいい」と強気だったが、人気投票でいつも最下位だったことから危機感を覚え、徐々に標準語にしていった。ライブへの出演が続いていたある日、相方と一緒に受けたテレビ番組のオーディションにヒロシだけが合格した。それは建設現場のとび職の体験で足場の下に土佐犬が待っているというものだった。出番までの2か月間、その土佐犬の世話までさせられたが、出演料は2万5千円だった。仕事を終えて帰ると相方と温度差が出来ており、コンビは解散。相方は地元福岡に帰った[16]。コンビ解散後、生活費に困っていたところ、ライブに出ていた芸人仲間から「ホストは稼げるし、モテるぞ」と聞いた。後々それはその芸人が自分がモテると自慢したいがための嘘だったと判明するのだが、ヒロシは騙されて知り合いの知り合いの彼女の更に知り合いという遠いつてをたどり、歌舞伎町の小さな店で働き始めた。源氏名は「冴神 剣(さえがみ けん)」で、殺し文句は「あなたの心を一刺し」。面接で酒が飲めないと知らせていたにも関わらず採用されると毎晩大量の酒を飲まされ、飲まないと怒鳴られる、長時間労働で風呂も入らず仮眠をとっただけで出勤、高熱が出て仕事を休んでも罰金3万円を払わされるといった辛い日々が続いた。


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