ヒロシマ・オリンピック構想(ひろしまオリンピックこうそう)とは、2020年夏季オリンピックを広島県広島市に招致しようとした構想である。
2009年10月11日に発表された「広島・長崎オリンピック構想」の後継構想として進められてきた[1] が、2011年4月14日に正式に断念した[2][3][4]。
日本国内において2020年東京オリンピック構想と実質的に争った構想である。なお、2013年9月7日の第125次IOC総会で2020年五輪は東京に決定しており、詳細は当該リンク先参照のこと。目次 「広島」ではなく「ヒロシマ」と表記するのは広島市の担当者によれば「被爆地、平和都市での開催となることを示し、さらには同じ被爆都市であるカタカナの『ナガサキ』をも想起していただこう」というものである[5]。字数制限のあるメディアでは単に「広島五輪」と表記している。 2009年10月11日に広島市秋葉忠利と長崎市田上富久の両市長により広島・長崎オリンピック構想発表、その後長崎市の共催断念により広島市単独での開催構想で進めていたが、2011年4月14日秋葉の後任市長に就任した松井一實により招致断念が発表された。広島市は招致検討費として、2010年度予算で2,469万円、2011年度予算で135万円、合計2,604万円費やしている。 夏季と冬季の3度日本で開催されたオリンピックは全て東日本であるため、もし実現すれば近畿地方以西の西日本としては初開催となるはずだった。
1 概要
2 沿革
3 招致検討委員会
4 開催基本方針案
4.1 諸元
4.2 競技施設
4.3 その他主要施設
4.4 宿泊施設
4.5 交通
4.6 財政
5 招致活動
5.1 背景
5.1.1 広島市の財政状況
5.1.2 秋葉市政
5.2 五輪招致意思表明
5.3 強みと問題
5.4 基本方針発表
5.5 市民の反応
5.5.1 peace2-project
5.5.2 世論調査
5.6 首長交代/招致断念
6 脚注
6.1 注釈
6.2 出典
7 参考資料
8 関連項目
概要
沿革
2009年
10月11日 - 「広島・長崎オリンピック構想」を公表[6]。
12月25日 - 日本オリンピック委員会(JOC)は広島市および長崎市に対し、国際オリンピック委員会(IOC)からの回答である「共催は認められない」と通達[7]。
2010年
1月15日 - 長崎市が五輪招致を断念[1]。
2月11日 - 五輪招致検討委員会(第3回)を開催。広島・長崎共催から広島単独開催「ヒロシマオリンピック構想」に修正。夏までに基本計画案を練り、立候補するかどうかの結論を出す方針を決定[8]。
3月25日 - 広島市議会予算特別委員会は、2010年度当初予算案に盛り込まれていた五輪招致検討費2,569万円を厳しい財政状況のため全額削除、修正予算案を可決[9]。
3月26日 - 市議会本会議にて、修正予算案を賛成多数で可決。これに対し秋葉市長は地方自治法に基づく再議権(拒否権)を行使[10]。
3月31日 - 市議会臨時議会にて、再可決に必要な2/3以上の賛成票が得られず修正予算案は否決。その後一部会派が検討費を100万円減額し2,469万円とした新たな修正予算案を提出、賛成多数で可決[11]。
5月10日 - 基本計画を作成する業務委託「オリンピック招致検討基本計画案策定業務」を4月30日に公示、一般入札後、玉野総合コンサルタント広島事務所が落札、この日に契約した。落札額1,590万円。7月末までに基本計画を作成する[12]。