ヒルマン・アヴェンジャー
セダンGL
アヴェンジャー・タイガー Mk2
クライスラー・アヴェンジャー
ボディ
乗車定員5名
ボディタイプ4ドアセダン
5ドアワゴン
2ドアクーペ
エンジン位置フロント
駆動方式後輪駆動
パワートレイン
エンジン1,248cc 直4 OHV
1,498cc 直4 OHV
1,295cc 直4 OHV(1973年10月-)
1,598cc 直4 OHV(1973年10月-)
1,798cc 直4 OHV(南アフリカのみ)
変速機4速MT
3速AT
車両寸法
ホイールベース2,500mm
全長4,100mm
全幅1,600mm
全高1,300mm
系譜
先代ヒルマン・ミンクス
後継プジョー・305
テンプレートを表示
ヒルマン・アヴェンジャー(Hillman Avenger )はクライスラー欧州部門が開発し、英国子会社のルーツ・グループのヒルマンブランドで販売していた後輪駆動の小型乗用車である。
1976年以降はクライスラー・アヴェンジャー、クライスラー欧州部門がPSA・プジョーシトロエンに売却された1978年以降はタルボット・アヴェンジャーと名称を変え、1981年まで生産・販売された。 1970年2月発表。1967年にクライスラーがルーツ・グループを買収して以降、初となる新型車として注目された。スタイリングは当時のアメリカ車の流行を取り入れたコークボトルラインのセミ・ファストバックであったが、機構は保守的で、新設計ながら1,250ccまたは1,500ccの直列4気筒OHVエンジンに4速MTのみの組み合わせ、サスペンションは後輪リジッドアクスルを採用していた。なお、プラスチック製フロントグリルを初めて採用した英国車でもある。 生産は、当初はイングランドのライトン
概要
従来のルーツ・グループ各車種のように、シンガー・サンビーム・ハンバーなどのバッジエンジニアリングモデルは作られず、ヒルマンブランドのみで販売された。
発売当初のジャーナリズムの評価は良好で、優れた操縦性と走行性能を持っていると評価され、翌1971年に登場したライバルのモーリス・マリーナなどよりも優れていると評された。 当初は4ドアセダンのみが用意され、下位からDL、Super、GLのグレードが用意された。DLとSuperは1,250ccと1,500ccエンジンが選択可能だったが、GLには1,500ccのみが用意された。DLは床はゴムマット、スピードメーターも寒暖計式のシンプルなものであったが、Superではフロアカーペット、ドアのアームレスト、二連式ホーンや後退灯が装備される。GLは標準の角型2灯に対し丸型4灯式のヘッドライト、2速式ワイパー、室内からのボンネットレリース、ナイロン製生地(イギリス車では初採用)のリクライニングシート、丸型メーターが装備される上級グレードである。 アヴェンジャーはフォード・エスコートやボクスホール・ヴィヴァ 1970年10月にはGTが追加された。エンジンはツインキャブ化され、ボディにはストライプが施された。また1,500ccの全グレードで、それまでの4速MTに加えて3速ATも選択可能となった。 1972年2月には社用車向けのスタンダード版が追加された。DLの装備をさらに簡略化したもので、サンバイザーは省略され、ヒーターブロワーはON/OFFのみで風量調節不可というものであった。 同年3月にはDL/Superに5ドアワゴンを追加。また、かつての高性能スポーツカーであるサンビーム・タイガー
歴史
ヒルマン・アヴェンジャー(1970 - 1976年)
マイナーチェンジ
10月にはGTの上位グレードとなるGLSが追加された。専用のスポーツホイールとレザートップが外観上の特徴である。同時にタイガーが正式モデル(マーク2)となり、ヘッドライトは丸型4灯化され、パワーバルジは省略、ホイールやシートも一新された。ボディカラーには赤色が追加され、約400台が生産された。
1973年3月には2ドアモデルを追加。10月には排気量が拡大され、1,250ccは1,300ccに、1,500ccは1,600ccとなった。同時に、GLとGTの1,300ccモデル及び2ドアモデルが追加された。 1976年にマイナーチェンジを受け、名称を「クライスラー・アヴェンジャー」と改めた。フロントフェイスはアルパイン(シムカ・1307/1308)風のデザインとなり、ダッシュボードやセダンモデルのテールランプなども一新された。また、給油口がボディ後部から右側に移設された。グレード体系はLS、GL(旧Super)、GLSに整理された。 1970年代後半になるとアヴェンジャーは旧態化が顕著となり、フォルクスワーゲン・ゴルフ、ルノー・14やフィアット・リトモなどに販売面で苦戦しつつあったため、クライスラーは1977年に前輪駆動の新型車「ホライズン」を発表した。 1978年にクライスラーの欧州部門がPSA・プジョーシトロエン傘下になると、PSAはクライスラー製品のブランドを「タルボ」(英国読みは『タルボット』)に統一することとし、本車もタルボット(タルボ)・アヴェンジャーと改名した。しかし、タルボエンブレムへの変更は行われずに、クライスラーのペンタスターエンブレムのままで販売されていた。 その後、リンウッド 1977年、アヴェンジャーをベースとした3ドアハッチバック車の「サンビーム」(後のタルボット・サンビーム)が登場し、ロータス製エンジンを搭載したホモロゲーションモデル「タルボット・サンビーム・ロータス」も存在した。詳細は「クライスラー・サンビーム」を参照 アヴェンジャーは欧州諸国やアメリカへ輸出され、アメリカではプリムス・クリケットとして、フランスではサンビーム・1250/1500として、その他の欧州諸国ではサンビーム・アヴェンジャーとして販売された。 また現地での生産も行われ、南アフリカではプジョーエンジンを搭載して「ダッジ」として、ニュージーランド、 デンマーク[1]、アルゼンチン、ブラジルでも「ダッジ」としてそれぞれ販売していた。中でもアルゼンチンでは1982年以降、現地工場を買収したフォルクスワーゲンブランドで1988年まで生産が続行されていた。また、イランでもノックダウン生産された。 なお、日本では総代理店伊藤忠オートが1970年に撤退したため、輸入されなかった。
クライスラー・アヴェンジャー(1976 - 1978年)
タルボット・アヴェンジャー(1978 - 1981年)
その他
他国での販売
脚注^ イギリスでは2ドアモデルが1979年に消滅したため、デンマークから逆輸入して販売していた。
参考文献
Wikipedia英語版 19:25,12 August 2009
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、ヒルマン・アヴェンジャーに関連するカテゴリがあります。
Size:16 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef