イギリスの政治家ヒラリー・ベンHilary Benn
生年月日 (1953-11-26) 1953年11月26日(65歳)
出生地 イギリス、ロンドン、ハマースミス
出身校サセックス大学
配偶者(1) ロザリンド・ルーティ
(2) サリー・クリスティーナ・クラーク
親族ジョン・ベン
ヒラリー・ジェイムズ・ウェッジウッド・ベン(英: Hilary James Wedgwood Benn、1953年11月26日)は、イギリス労働党の政治家。ゴードン・ブラウン政権で環境・食料・農村大臣を務めた。イギリスでは有名な政治家、トニー・ベンの次男にあたり、彼と区別するために小ベン(Benn the Younger)と呼ばれることもある。 1953年、ロンドンのハマースミスで生まれる。ヒラリーは、父トニーと母キャロラインの次男で、ベン家の政治家としては4世にあたる。父トニー・ベン
目次
1 経歴
1.1 若年期
1.2 政界への進出
1.3 副党首選挙とブラウン政権
2 パーソナリティ
3 脚注
4 外部リンク
経歴
若年期
Norland Place School、Westminster Under School、Holland Park Schoolに通った後、サセックス大学に進学。ここでソ連や東欧に関する研究を行った。在学中の1973年にロザリンド・ルーティと結婚するが、彼女は1979年、26歳にして癌で亡くなってしまう。その後1982年には、サリー・クリスティーナ・クラークと再婚している。
卒業後、労働組合ASTMSのリサーチャーとなり、MSFの政策担当者も務めていた。 1979年、 イーリング・ロンドン特別区の区議会議員に選ばれ、1986年から1990年までは副代表を務めた。 1983年、1987年の総選挙の際には、労働党の庶民院議員候補としてイーリング北選挙区
政界への進出
労働党が与党となった1997年、教育・雇用大臣となったデイヴィッド・ブランケット(英語版)の政策アドバイザーとなる[1]。1999年にリーズ中央選挙区選出の現職議員が死亡すると、ベンはすぐ予備選挙の候補者に選出された。彼はこの選挙でようやく初の当選を果たすが、得票差はわずか約2000票という、危うい勝利でもあった。また、彼はこの選挙区の事務所を、労働党の欧州議会議員・リチャード・コーベット(英語版)と共同で使用している。
2001年の総選挙後、国際開発大臣(英語版)のクレア・ショート(英語版)のもとで政務次官に任命される。2002年、内務省で囚人・保護監察者を担当する閣外大臣に異動。2003年5月には、再び閣外大臣として国際開発省(英語版)の担当となる。10月に同省大臣のヴァレリー・アモス(英語版)が枢密院議長に就任すると、彼はそのまま国際開発大臣に昇進した。 トニー・ブレア労働党政権においてその働きが認められ、徐々に政府・党内においてその存在感を発揮する様になる。次第に次期副党首の有力候補としてベンの名も挙がりはじめ[2]、YouGov社が行った労働党党員間の事前調査では、次期副党首にふさわしい人物として教育相アラン・ジョンソン18%、環境相デイヴィッド・ミリバンド17%、法務次官ハリエット・ハーマン10%、党幹事長ヘーゼル・ブリアーズ7%を抑え、27%がベンの名を挙げてトップとなった[3]。
副党首選挙とブラウン政権